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楽園 海風 さんの投稿された作品が68件見つかりました。

 
  • ワーキング・プアからの脱出 38

    趣味は人生を豊かにしてくれます。日々の仕事に疲れた体と心に潤いを与えてくれます。仕事を頑張るには、趣味を持つ事です。仕事と趣味を両立させましょう。趣味といっても、一生懸命に楽しみましょう。趣味において極められない人間は、仕事においても極める事はできません。さあ、趣味を極めましょう。趣味を極めれば、仕事は自然と付いてきます。さあ、同志諸君、ワーキング・プアから脱出しましょう。次回、第8章 楽園 を
    楽園 海風 さん作 [393]
  • ワーキング・プアからの脱出 37

    写真の事を色々と質問する私に、「そんなに写真が好きなら、次の日曜日、私のスタジオで撮影会があるから、是非参加しなさい。実践する事が勉強になるから是非いらっしゃい。」と、勧められ、何の撮影会かも確かめず、「はい、参加します。」と、答えてしまい、現場に行って初めて、ヌード撮影会と知って、慌てました。それまで、モデル撮影会は参加した事がありましたが、ヌード撮影会は初参加でした。この撮影会は大規模で、こ
    楽園 海風 さん作 [392]
  • ワーキング・プアからの脱出 36

    第7章 趣味私は、幼い頃からカメラに興味を持ち、小学校3年頃から玩具のカメラで写真を撮影していました。最初のカメラはブロウニー版のカメラで、私を可愛がってくれていた近所の小母さんに買ってもらいました。布でカメラケースを作ってもらい、いつも持ち歩いていました。その頃の被写体は、お気に入りの玩具や妹など、身の回りを撮っていました。小学校6年の修学旅行に35mmハーフ版のコンパクトカメラを買ってもらい
    楽園 海風 さん作 [408]
  • ワーキング・プアからの脱出 35

    そして、無事、機械工学科を2年で卒業しました。両親との約束を守り、留年する事無く、6年間の大学生活を無事、終了しました。ここでも、楽しい事大好きな私の性格は遺憾なく発揮され、卒業研究を自分の楽しみに変えてしまいました。同志諸君、人生は楽しみましょう。例え今、生活する事で精一杯でも、何か楽しみを見つけましょう。必死の思いで仕事に打ち込み、将来を考え、出来得る限り貯蓄し、預金残高が増える事に生きがい
    楽園 海風 さん作 [425]
  • ワーキング・プアからの脱出 34

    S大学は私のような学力でも入学できるような大学でしたが、進級には非常に厳しい基準が在り、1年から2年で半数が留年し、最終4年間で卒業できたのは、入学した3分の1以下でした。入学した当初、10人の友人ができましたが、留年無く、4年間で卒業できたのは私だけでした。S君も1年から2年で1度留年し、最長は各学年で1度留年、8年間かけて卒業した友人もいました。この大学はアメリカの大学のように、希望する者は
    楽園 海風 さん作 [389]
  • ワーキング・プアからの脱出 33

    「いいえ、持っていません。」と、答えると、「試験用紙の簡単な説明で、短時間に全問正解できたのは君だけです。F15に搭乗できる素質があるから、頑張りなさい。」と、激励されました。親子二代に亘る戦闘機乗りの夢が叶うと信じていました。最終選考は身体検査と簡単なIQ検査のような筆記試験でした。試験当日、私は発熱して、体調は最高の状態では在りませんでした。それと、小学校時代、水泳部での練習中に飛び込んでき
    楽園 海風 さん作 [457]
  • ワーキング・プアからの脱出 32

    高校卒業後は自衛隊に入隊して、戦闘機のパイロットになるつもりでした。終戦によって、父が果たせなかった、戦闘機のパイロットに、私が代わりになってやろうと、考えていました。自衛隊の戦闘機乗りに成る方法は、防衛大学を卒業後にパイロット養成コースに進む方法と、航空学生を卒業する方法の2つがありました。高校の成績が悪かった私は、航空学生に入学する方法を選びました。この頃の私は、父のように将来を考えて、パイ
    楽園 海風 さん作 [399]
  • ワーキング・プアからの脱出 31

    珍しく、妻が外まで見送りに出て、「荷物、多いね。」と、言いました。私は両手に大きな布袋を下げていました。その中には、どうしても持ち出したかった物が入っていました。気付かれたかと、一瞬ひやりとしましたが、振り返らずに、「仕事で使うノートパソコンや。」と、吐き捨てるように言って、足早に家を後にしました。布袋の中には、ノートパソコン以外に、娘と息子の写真アルバムと、愛用のカメラ、電子オーディオ機器が入
    楽園 海風 さん作 [433]
  • ワーキング・プアからの脱出 30

    無論、メール友達で、それ以上の関係は全くありませんでした。その時、妻は、「お父さんの事、信用してはだめだよ。」と、私の息子が言っていると告げました。私は、この瞬間、家を出る決心をしました。妻だけならよかったのですが、味方になってくれると信じていた息子にまで、私を信用していない事を知り、この家にいる必要性を全く感じなくなりました。翌日、私は不動産仲介業者を巡り、今住んでいるワンルームマンションの契
    楽園 海風 さん作 [447]
  • ワーキング・プアからの脱出 29

    第6章 別離2004年10月、爽やかな秋空が続いていましたが、私の心は梅雨空のように、灰色の雲が重く垂れ込めていました。「来年は南太平洋に行きたいね。」妻に2005年の海外旅行に行く話しを持ちかけると、「そんな余裕はありません。5年位経ったら行けたらいいね。」と、いとも簡単に私の楽しみは砕け散りました。こんなに、一生懸命働いているのに、年1回の楽しみさえ否定する妻に対して、日頃からの不満が、ふつ
    楽園 海風 さん作 [424]
 
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