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たに さんの投稿された作品が20件見つかりました。
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連休間近の銭湯にて
1996年・春、中野。私[谷・城太郎…当時20才]は、風呂無しの木造アパートに住んでいた…とにかく節約、銭湯には行かず、最初の1年はコインシャワーで身を清めた、5分\100で、すべてを済ます技を身につけた(笑)翌年からは、銭湯に通い初めた、のれんをくぐり、ロッカーキーを左足首へ、富士山が描かれた壁を背に、やっぱり銭湯は最高だ〜♪もちろん湯上りには、腰に手をあて、ビンのコーヒー牛乳を飲むのさ!その
たに さん作 [571] -
1000文字で、S・キングを語る。
…無理ですね(笑)、私は映画ファンなので、原作がヒットした映画に、スポットをあててみます、それでも足りませんが(笑)、では…キャリー原作…主人公が、超能力で物を動かし、周りの人と一緒に、驚いたフリをする、という描写がリアル。豚の血を浴びせられるシーンは、まさに映像化ならではのインパクトです。シャイニング作家と超能力者、今後のヒット要素ですね、原作は、時間の感覚がだんだん狭って行くプロットと、南国
たに さん作 [671] -
みんなの東京駅
2003年2月、私は27才だった。それまでの私は、フリーランスとして、CMやテレビの音声の仕事一筋だったが、なんの災いか(笑)、仕事が減ってきたので、アルバイトをする事にした。中野にある警備会社に行き、工事現場の交通誘導をやる事にした。その頃、東京駅では、各ホームで、エレベーターの設置工事をしており、私はそこへ配属された。まずは、丸ノ内南口にある資材置場に集合した、…ここは今は、忘れ物の預かりコ
たに さん作 [552] -
位置について、よ〜い…
1988年・春、私は中学生になり、部活動は、とくに迷わず、陸上を選んだ。世界で最も大きなスポーツの大会は、ワールドカップである。…が、この頃の日本人の意識は、オリンピックがそうであった、Jリーグ発足は、5年先の話であった…。[走る事は、全てのスポーツの基本である]、とは、入部初日の顧問の先生の言葉である、確かにその通りである。…が、以後、私は高校に進学しても、陸上を続ける事になるのだが、球技や格
たに さん作 [722] -
水平線の、彼方まで。
1995年の3月、私は、念願の普通自動車免許を取得、5月には、中型自二車免許を取得した。…この為に、多大な時間と、アルバイト貯金を使っていた…(泣)この時19才の私は、[ハタチを過ぎたら、2度と教習所には通わない、家と仕事を往復する生活でたくさんだ!]と、考えていた。…翌年の春から、私は東京での一人暮らしを始め、好きな仕事をし、その考えは10年以上守られた…。…[喉元過ぎれば熱さを忘れる]、その
たに さん作 [620] -
逆海外ロケ
2007年の7月上旬、成田空港…私は音声機材をカートに乗せ、クライアントであるコーディネーターの女性と、カメラマン、シンガポールからやってくるスタッフと出演者[日本人親子]を待っていた。メンバーを整理すると、以下の通りだ(笑)シンガポールからは…デイヴ[ディレクター・シンガポール人]市毛さん…シンガポール在住の日本人、帰郷で来日。ヨシオ君…市毛さんの御長男・シンガポールと日本のハーフ。国内からは
たに さん作 [606] -
草加からイタリアへ
2005年夏、30歳になった私は、自称・フリーランスの映像技術者だったが、実際は失業状態だった…、7月半ば、まずは出費をおさえるために、約9年半住み慣れた東京・中野を離れ、実家[埼玉県・東武伊勢崎沿線]へ出戻った。6・7月に稼いだギャラを食いつぶし、暑い中をさまようだけの、夏後半が始まってしまった…。さまようにも金がかかるので、どうしても実家近辺を歩くだけになった…。携帯と煙草だけを持ち、あても
たに さん作 [586] -
韓流ブーム
はじめて韓国映画を観たのは、2000年の年明けに公開された[シュリ]というスパイアクションだった、おそらく大々的に公開された初の韓国映画であったはずだ、宣伝文句にも[ハリウッドを凌ぐアクション]とあった。これを機に、続々と韓国映画が公開された、2002年には、日韓[韓日]ワールドカップが開催され、テレビでは[冬のソナタ]が大人気、韓流ブームの到来であった。2005年の年明け、フリーランスとして映
たに さん作 [630] -
1999年夏、スター・ウォーズ公開前夜!
1997年秋、22歳で映画ファン歴8年の私の目は、ある一枚の写真に釘付けだった…。プレミアという映画雑誌に大きく掲載されたその写真には、木のテーブルで、ミルクのような物が入った器を前にした少年が写っていた。この少年は後のダース・ベイダーである!いよいよ本格的に、スター・ウォーズの4作目[第1話]の制作が動きだしたのだ!その後も、入ってくる制作情報に心を躍らせつつ、1998年の冬、またある写真に目
たに さん作 [607] -
ある音声マンの、春の一日。
2008年3月19日[水]、新宿スバル前、私は初めてのクライアントを待っていた。私・谷城太郎[32才]は映画やテレビの音声の仕事をして12年になる、最初は映画から、今はテレビの取材現場での仕事をしている…。新宿スバル前というのは、映像屋、とくに映画やドラマのスタッフがよく使う朝の集合場所である、私はここにくると、駆け出しの頃の思い出が自然と湧きでてくる…。この日もワゴン車の運転席で昔の事を思い出
たに さん作 [873]
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