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chiko さんの投稿された作品が11件見つかりました。
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mama色?
『チコは、それに気が付ける子だとお母さんは思うよ!不器用だけど一生懸命でちゃんと頑張ってるの、お母さん知ってるから。前にバレエやめたい?って聞いた時…続けるって言ってくれたでしょ…お友達と遊びたいのわかってたけど、それでも続けてくれて、そして今もちゃんと頑張ってる!だからね。チコには小さな幸せを見つける事が出来ると思うよ!どんな時も一生懸命にひたむきなチコなら…。器用じゃなくていい。ただ自分を信
chiko さん作 [274] -
mama色?
『アラアラ…チコちゃん良かったね〜お母さん。チコちゃんの事大好きだって。これからも、頑張ってね。』『うん。おばちゃんバイバイ』母とおばちゃんも軽く会釈を交わし母はまた自転車をこぎはじめた。私は母に聞いた。『お母さんはチコの事好きなの?』『どうしたの?突然。大好きに決まってるじゃないの…変な子ね。』ふと気がつくとソコはキンモクセイの道…母は自転車をとめて、私を下ろした。『お母さんね。幸せって思える
chiko さん作 [253] -
mama色?
『ごめんなさい。 怒ってる?』母は『どうして? 怒られる事したの?』『先生に喧嘩したらダメって怒られたの。………。だから。』『喧嘩はダメだなぁ〜』と母は笑いながら言った。私の頭の中は…『???』混乱していた。その時、知り合いのおばちゃんと出会った。母とその人は少し立ち話をして、するとその人の視線が私へ…きっと母から私の怪我を聞いたのだろう。『チコちゃん大丈夫?女の子なのに…優しいお兄ちゃんだ
chiko さん作 [253] -
mama色?
いつもはキンモクセイの道を走る時必ず自転車を停めて、母と色んな話しをする。今日あった事とか、晩御飯の事とか、バレエの事とか、時にはしりとりしたり…。私にとってキンモクセイのニオイは母だった。そして。それは今も変わらない。少しでもドコからか流れてくると、私はその日一日キンモクセイのニオイを思い出す事がデキル!でも今日は違う。キンモクセイの道も猛スピードで走り去り、大好きなあのニオイは一瞬にして、消
chiko さん作 [250] -
mama色?
そんな私に先生は、『サチコちゃんは、毎日幼稚園休まずに来て偉いね〜。先生、大好きだよ!』って言ってくれる。その瞬間は、私にとってなくてはならない時間となった。ある日、大好きな幼稚園で鬼ゴッコをしている時、私は同級生の男の子に突き飛ばされた。オデコをブツケテ、血が吹き出して…私は恐怖と痛いのとで、泣きながらその子を突き飛ばしかえした。その瞬間を先生に見られて、先生は即座にその男の子に駆け寄った。『
chiko さん作 [256] -
mama色?
第?章母ノオモイ母の願いは《健康で自分が信じた道を進み、その先には名前に負けない幸せがある事。遠回りしても、幸せだと思える瞬間に気付き、人より多く笑える日を過ごせます様に…》とよく言っていた。意味なんてよくわからないし、どうしたら幸せになれるのかなんて??母と二人で考えたりもしたけど…私にはそんな時間より早く友達と遊びたかった。兄は私より四歳年上という事もあり、何でも出来た!私には一時間かかる事
chiko さん作 [244] -
mama色
すると母は自分の胸を指して。『今ココ痛くない?お母さんはスッゴク痛い。悲しくてスッゴク痛いよ。』『ごめんなさい〜』『嘘をつくとつかれたお母さんも痛いし、ついたチコも痛いの。全然イイ事ないんだよ。嘘をつくのは悪い事なのに…嘘は悲しい気持ちをいっぱいチコの中に入れてきて、チクチクさして、ウソばっかり言う子になっちゃうの。悪い子になっちゃうんだよ!ウソを言うたびにまた痛いんだよ』と言いながら今度は私の
chiko さん作 [301] -
mama色
そんな私を嬉しそうに眺める母を見てると私もスッゴク嬉しかったです。友達が出来るまではバレエが楽しくて、仕方なかったのに、友達ができるとバレエの日は遊べなくなってしまい、幼い私にはバレエが苦痛へと変わって行った。そしてある日…。初めて仮病を使った。まだ小さな私にはうまい演技なんか出来ないし、きっと親じゃなくても見抜ける嘘だったと思う。でも病弱だった私の嘘を母は心配そうな目をして信じてしまったのです
chiko さん作 [258] -
mama色
第?章約束ノハジマリ病弱だった私には友達の作り方がわからなくて、友達と呼べる子がいなかった。いつも母の後ろに隠れて…俯いてばかりいた。人懐っこい子達も、初めは、『一緒に遊ぼう』と声を掛けてくれるが、私には…『うん。』と言う言葉が喉の奥に突っ掛かっていて、勇気がでるまで時間がかかった。やっとの思いで声を出そうとした時にはもう、友達の姿はなく、後悔だけが私の中に残る、その後悔が悲しみに変わり、グズグ
chiko さん作 [282] -
mama色
第?章ハジマリノヒ私は1978年7月14日午前5時に生まれました。よっぽど母の中は居心地が良かったのか、予定日より1週間遅れで、体重4000g。病院中に響き渡る程のうぶ声だったみたいです。泣き止んだ後に幸せそうに眠る私を見て、父と母は『幸子』と名付けた。母は洋裁を得意としていたので、私が着ている服は全て母が作る物。だからどんな売っている可愛い服よりも、私には母が作る服が1番似合っていて、母も私も
chiko さん作 [281]
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