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エッセイの携帯小説に含まれる記事が2019件見つかりました。

  • 社長を呪い殺す方法

     だいたい社長は若い女子社員が入るたびに年長者をいびり出す悪い癖がある。それが遂に私の番になっただけ。だから始まった時こんなに突然手の平がかえるのかとびっくりした。 その日から毎日考えていることは「こんな店潰れてしまえばいいのに」そしたら奥さんは間違いなく離れていくし莫大な負債が残って社長の性格上誰にも見つからない場所で死を選ぶはずだもん。     だけどいきなり倒産させる能力が私にはない。  
    WA-KA さん作 [1,077]
  • 大事な仕事で遅刻!

    コンピューターの誤作動によるパニックはなく、2000年はやってきた。その頃の私[当時24才]は、映画の録音助手の仕事をあきらめ、アルバイト生活をし、企業映像制作の仕事に就いたばかりだった。同年2月、台湾のT社と日本のI社の、合同事業の記録を撮影する仕事が入ってきた、台湾火力発電所の、建設記録である、私にとって、初の海外ロケである♪出国前日、同行するカメラマンの指示をあおぎながら、機材を梱包する、
    たに さん作 [589]
  • 26歳。女。独身。

    朝六時。携帯の目覚ましの音で目が覚める。昨夜は久々に借りてきた恋愛ものの映画を見たから瞼が重い…。ハッピーエンドになるのはわかっているけど、好きな人との別れのシーンは泣いてしまう。だってヒロインは私だから。二度目の目覚ましで、重い体を起こしパンを焼いてお茶を入れ始める。コーヒーはキライ。苦いから。朝のニュースを見て思うんだ。「女子アナ、キラキラしてる」化粧をし、嫌いなスーツに着替える。いつもギリ
    日向 さん作 [388]
  • 昔の思い出6

    父の唯一の男兄弟である叔父は遠洋漁業の船乗りであった為、5人兄弟の中でも遅くまで独り身であった。早くに家を出た父に代わって祖父母の世話をしながら暮らしていた。私は特別叔父に可愛がられていて、物心付いた頃には父の故郷に行くと父より叔父の傍らにいる事の方が多かった。クーラーなどまだ一般的でない頃だから、夏の昼下がりのうだる暑さに、叔父が私を裏山の沢へ連れて行った事もあった。駅から祖父母の家までの細い
    もね さん作 [345]
  • 昔の思い出5

    父は若い頃奨学金で大学を出た。東京で仕事をし、美しい妻と可愛い息子と娘を持ち、故郷に帰る事はきっと誇らしかったに違いない。しかしそこにはいつも非常に熱い家族達が待っているのだった。思い返せば父の家は皆血の気が多く、祖父と祖母の夫婦喧嘩に始まり、5人兄弟姉妹だったが、父と叔父の掴み合いなどが起こる事も度々であった。その度穏やかな性格の叔母達が突き飛ばされたりしながら止めに入っていた。「兄さんやめら
    もね さん作 [355]
  • 昔の思い出4

    時に盛岡に住む従兄弟の兄弟が来ていたりすると保育園状態だった。いつも兄妹で遊んでばかりいた私達は子供四人で冒険の旅に出掛けたりもした。庭の柿の木に登って「柿の木は折れで危ねがらやめれ」と大人に下ろされたりした。夏には海水浴をして船虫にくわれたり、親戚のぽんぽん舟に乗せられウニ漁に行った。絶品(らしい)の馬糞ウニは瞬く間に大人達の餌食になり、子供には牡蠣やツブ貝などがあてがわれたが、「大人の味だか
    もね さん作 [361]
  • 昔の思い出3

    「はぁー良ぐ来たな」「まんず足崩しで」「随分腹減ってるべや?」もてなし好きの祖母は嬉しくて私達に飲み物を注ぐと色んな話を次々繰り出して来た。注意できない状況の母を後目に兄と私は普段飲ませてもらえない甘いカルピスなどを祖母から出されご満悦状態であった。祖父はいつも奥にどっかと座っていて、ぽつぽつ満足そうに父と話したりしながらも祖母程はしゃいだ風は見せなかった。祖母の料理は素朴だったが、文句無しに美
    もね さん作 [365]
  • 弁ちゃんの丸々博多弁こらむ〜日本わ何か目標ば持たないかんばい〜

    皆さんこんにちわみんな元気にしとおとねあたしゃ丸々博多弁の博多弁十郎こと弁ちゃんですたいホークスが2連勝したばってんテレビの放送がなかったとよ今日もなかごたあばいジャイアンツが民放とNHKのBSの2局で放送されるっちゃけどホークスに1つ譲ってもらえんやろおかねぇ〜ところでくさ〜 今日わガソリンスタンドに行ったとよあたしも明日からガソリンの値段が上がるかもしれんけん一応満タンにして来たばい案の定 
    博多弁十郎 さん作 [403]
  • 昔の思い出2

    二両編成程の手動の扉は重く母親にガラガラと開けてもらうと窓際に兄と陣取った。また延々と海と山が続く。暗くなり寂しげな景色に眠くなる頃、終点の一つ前の駅が祖父と祖母の住む最寄りの駅だった。起伏に富むリアス式の海岸が急に途切れ、潟に竹で組まれた牡蠣養殖の仕掛けが水平線まで広がる雄大な景色を眼前にその小さな小さな無人駅はあった。駅に降り立つと海にほんのり夕日の色が残り、空には普段目にする事がない無数の
    もね さん作 [354]
  • 昔の思い出

    私の出身地はと訊かれたら二十歳まで学校に通い、暮らしていた神奈川県となるのだと思うのだが、自分のルーツのある土地という意味では、私に出身地はないかもしれない。両親はそれぞれ違う土地から仕事を求めて東京のベッドタウンである神奈川に移り住んできた人である。ただ、私達家族には年に数回長期の休暇を取っては父の故郷に帰省する決まりの様なものがあった。安月給の父と専業主婦の母では、当時仙台まで開通したばかり
    もね さん作 [345]
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