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その他の携帯小説に含まれる記事が2136件見つかりました。
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落ちてから戻るまで16歳
よくある話しだが、俺わ地元を離れた、親父の生まれが広島って事で行ってみた。親わ俺が広島に行くのに賛成だった、一人での生活一人で考え学ぶ、それが俺にわ必要だった、俺わ少年院をでたら同じ事の繰り返しで組にでも入ると思っていた。でも親わ俺を見捨てないで、手紙、面会、裁判といろいろ俺を励ましてくれた、本当に父ちゃん母ちゃんにわ救われた。広島に行く資金や貯金わ自分で稼いだ、中卒だけど鳶やドカタなどいろい
真 さん作 [370] -
このみち
これは私自身の生きてきた記録である 10歳。4つ上の兄による家庭内暴力が始まった。小学4年から中学3年までフリースクールで過ごした。高校に入り、強く変わりたいと心に決め学校で成績1番になった。大学受験…断念。 受験シーズン、父がうつ病になったのだ。兄の暴力は続き… 環境に捕らわれ変われない自分を今でもなお人のせいにする私。 私は今20歳になった。10年越しに願った1人暮らしを始めた。教員の夢が
しゃねる さん作 [279] -
嫁が鬼になる日
私は35歳 主婦。今は、嫁ぎ先の稼業の酒屋で夫婦二人で営んでいる。嫁いだ当初、旦那の両親と同居だったが、姑との折り合いが悪く、家を出てた。夫婦二人、幸せな日々が待っている…私はそう信じて生活してきたが、一番信じていた旦那に裏切られ、私は鬼になっていった。
のの子 さん作 [395] -
落ちてから戻るまで中2
俺わ自分でやってわいけない事を決めていた、一つわ殺人、ボコル時も殺さない程度加減してた。二つ目わ寝たばこ、火事わ恐いでな。三つ目わ薬物、自分を捨てる事になる。中2になった俺わ居場所がなくなり精神が不安定になった、銃があったら皆殺し、ナイフがあったら刺すか刺されるかの夢ばかり見た。全てを後悔し、怖くなった。元の自分を取り戻そうとマリファナに手を出し大麻、コカインと続いた。中2でここまでヤクをやるの
真 さん作 [437] -
二人の絆 4
−最悪の日がやってくる− この日は練習場の入口に一台の輸送トレーラーが停まっていた。松風を乗馬クラブへ連れて行く為である。 先輩に引かれ、松風はトレーラーへと歩いて行く。俺はその間、松風に声をかけてはいけないといわれていた。松風は絶対に反応してしまうから、と。 そしてあと一歩というところで松風はいきなり踏ん張ってそれ以上進もうとはしなかった。他の部員に押されようと叩かれようと、その一歩を頑なに
大堂寺 倭 さん作 [286] -
二人の絆 3
あと一ヶ月で女子部長とお別れ出来るまできた。あと一ヶ月だけ辛抱したらいいだけなんだ。そうしたら、尊敬出来ない人間を相手にすることもなくなるんだから。 松風もわかっているのだろうか、女子部長にはニンジンがないと反応を示す事はなかった。それも、俺にとっては救いだった。 俺と松風の間に入れる人間なんざいない、これだけが俺を部活に留めている杭である。 とは言っても、この二ヶ月は精神を病むに十分な期間だ
大堂寺 倭 さん作 [300] -
二人の絆 2
入部から三ヶ月、嬉しいような、嬉しくないような、複雑な気分で夏休みを迎えた。実家に帰ることが出来るのは正直嬉しいが、松風を置いて帰るのは不安でもあった。 第一に、他の馬に比べて一回り近く大きい松風は馬房もそれなりに大きい上、汚れ方も半端ではない。他の部員に頼むとしても、毎日掃除されないという確信があった。 しかし、俺の帰省予定日の三日後、松風も八月いっぱいまで他の乗馬クラブでトレーニングを受け
大堂寺 倭 さん作 [299] -
二人の絆
−神様の存在ってやつを信じてるか?− この問いに、昔の自分なら迷わず「イエス」と答えていただろう。 今までにない、最高の相棒と出会わせてくれたからだ。 大学には、馬術部に入るつもりで選んでいた。念願叶って、志望校に入れたし、馬術部にだって入部した。 最初は雑用ばかりでも、充実していて俺は満足だった。未経験で入部した鉄砲玉みたいな奴は俺だけで、あとの四人はみんな経験者ばかりだ。 しかも環境がいか
大堂寺 倭 さん作 [308] -
心身症?
幼稚園からの友達の結華といつもの通学…前なら笑って歩いてたのにだるくて無言で歩くようになり結華に悪いとは思いつつも歩くことで精一杯だった。ノ-トをとり友達と噂話をする授業中…前はノ-トとれたしそれなりについていけたのにノ-トすらとれず頭痛を必死に我慢しながら鐘が鳴るをじっと待った。1日の中で1番楽しい時間の休み時間…前は友達とお菓子食べたり恋バナしたり騒いだり本当に楽しかったのにずっと机にもたれ
疲れた人 さん作 [311] -
心身症?
あれは忘れもしない6月15日の部活中だった…キツいレシーブ練習の時喘息の症状が出た。子供の頃からの持病だからすぐに喘息だとわかった。喉はヒュ-2となりただでさえキツい練習だがボールを追い続けた。中学の時も度々なってたし我慢する事には慣れてたし喘息は数時間休めば治まってくれるから部活が終わるまで我慢しその時は気にも止めなかった。だが次の日もまた次の日も喘息は続くどころか悪化していった。そして喉がな
疲れた人 さん作 [362]