愛された記憶
近頃、繰り返される憂鬱なニュース。何故、愛おしい我が子を虐待し、大事に育て上げたはずの我が子に殺害され、いじめの自殺が増えて行くのだろうか…テレビであるコメンテーターが言っていた、雑誌などでも頻繁に目にするようになった「家族やご近所とのコミュニケーションやが取れず相談する相手が居ないから…」と口を揃えて言っているが、本当にそんな事で解決できるだろうか…確かに大切な事だと思うが、かすり傷に薬を塗っているだけなような気がするのだ。もっと根本的な人間として、とても簡単な事を忘れてしまった人、又は、知らない人が増えたんじゃないのだろうか。私自身も決して恵まれた環境に育ったわけではない。幼い頃から両親は共働きで全く会えない日が続くことも有った。家族で出掛けたり旅行などは無いに等しいし、両親は、金銭的な事で夫婦ゲンカを繰り返し、母は、職場の人間と不倫をし、家出をする。その度、父が捜し出し連れ戻す。子供ながらに、台所に立つ母の背中を見ながら「今度出て行く時は帰って来ないのだろう…」と思った。案の定「お母さん達が離婚したら、どっちと暮らす?」と、まな板の上で野菜をトントンと切りながら私と兄に聞く。私は、それを横から眺めながら冷静に受け止めた。もう、私達が何を言っても、事態は変わらないのだろう…と。心配で兄を見ると、泣きながら「嫌だ〜!どっちも、一緒がいい〜。離婚なんかしないで〜」と涙が溢れ出していた。私は羨ましい気持ちだった…兄は幼い頃から、こんなふうにして上手に自分の気持ちを母に伝えるのだ。そんな兄を母は愛おしいと思うのだろう…私達は年子で生まれ兄と言っても12ヶ月先に生まれただけなのだ。甘えん坊の兄は母に、べったりなので私は、祖母に世話をしてもらっていた。誰が決めた訳でもないが、私は、お兄ちゃんのママ!的な感覚が有ったように思える。兄が母に甘えたり何かをねだる様子を祖母の膝の上で見ていた。ご近所でも、その印象が強いようで「さっちゃんが、お姉ちゃんみたいだね〜」と冗談を言う人がいた。兄は、いつもニコニコし、ケッケッケッと、いたずらに笑うお調子者だ。そんな兄から、母は笑顔を奪って行った…結果的に、子供の意見とは無縁の所で、母は行動に出た。いつものように夕食を済ませ、お風呂に入り、歌番組などをみんなで見た後、私と祖母と兄は布団を並べ母は両親の寝室へ、いつもと変わらない夜のはずだった。
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