遠く遠く
黄金色に輝く稲穂の海。
赤く焼ける夕日の空。
男は立っていた。
ひそやかに夜が空の裾に忍び寄っている。
男は家へと続く畑道を踏みしめた。緒の緩んだワラジは乾いた地面を滑るように土埃を舞上げた。腰に携えた刀を揺らし、男はこの歩き慣れた道の凹凸を愛おしむように味わった。生まれてこの方、この村から出たことのない男ではあったが、さぞやこれほどの景色はないだろうと思っていた。華やかな都の梅よりもこの素朴な村の桜を愛でて生を終えられればそれでよかった。
家では慎ましやかな妻が飯を作って待っていた。白飯と味噌汁と少しの漬物。礼儀正しく正座している妻の横に何も言わずに男は腰を下ろし、飯を食べた。
妻は夫の湯呑みに茶を注ぎながら言った。
「いつ都へはお発ちに?」
「遅くとも日の出前には」
「それは早うございますね」気丈な妻はただ静かに飯の世話を焼いた。椀を差し出されれば、自分の分も顧みず、白飯を盛る。
「旅にはにぎり飯こさえますね」
「ああ」
妻はけしていつ帰るかとは尋ねなかった。農村の田舎侍が都の警備に当てられることの意味をよく弁えているからだろう。今の都は動乱の渦中にあった。
「主が留守ではこの家も寂しくなりますね」
「ああ」
「お体に気をつけて」
男は漬物の青菜を添えて最後の飯を茶漬けにしてかきこんだ。妻は、おそらく最後になるであろう、夫の食事を見つめていた。夫婦としての、最後の晩餐になるだろう。
「うまい飯だった」
妻はそう言って布団へ転がりに行った夫の箸と椀を片付けた。
その手は微かに震えていた。
「ご武運を…」
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。
夫はこれまで一度だって自分の料理を褒めたことなどなかったからだ。
赤く焼ける夕日の空。
男は立っていた。
ひそやかに夜が空の裾に忍び寄っている。
男は家へと続く畑道を踏みしめた。緒の緩んだワラジは乾いた地面を滑るように土埃を舞上げた。腰に携えた刀を揺らし、男はこの歩き慣れた道の凹凸を愛おしむように味わった。生まれてこの方、この村から出たことのない男ではあったが、さぞやこれほどの景色はないだろうと思っていた。華やかな都の梅よりもこの素朴な村の桜を愛でて生を終えられればそれでよかった。
家では慎ましやかな妻が飯を作って待っていた。白飯と味噌汁と少しの漬物。礼儀正しく正座している妻の横に何も言わずに男は腰を下ろし、飯を食べた。
妻は夫の湯呑みに茶を注ぎながら言った。
「いつ都へはお発ちに?」
「遅くとも日の出前には」
「それは早うございますね」気丈な妻はただ静かに飯の世話を焼いた。椀を差し出されれば、自分の分も顧みず、白飯を盛る。
「旅にはにぎり飯こさえますね」
「ああ」
妻はけしていつ帰るかとは尋ねなかった。農村の田舎侍が都の警備に当てられることの意味をよく弁えているからだろう。今の都は動乱の渦中にあった。
「主が留守ではこの家も寂しくなりますね」
「ああ」
「お体に気をつけて」
男は漬物の青菜を添えて最後の飯を茶漬けにしてかきこんだ。妻は、おそらく最後になるであろう、夫の食事を見つめていた。夫婦としての、最後の晩餐になるだろう。
「うまい飯だった」
妻はそう言って布団へ転がりに行った夫の箸と椀を片付けた。
その手は微かに震えていた。
「ご武運を…」
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。
夫はこれまで一度だって自分の料理を褒めたことなどなかったからだ。
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