枝と桜と。01
今日は秋晴れ。
どこかのお天気お姉さんがそんな予報をしていた気がする。その通りの青空がカーテンごしに広がるのを見て、まだ夏なのじゃないかと錯覚しそうになる。だが、やはり布団をかけないと肌寒い。
御飯の炊けた音がした。最近の炊飯器は人間の腹時計より優れてるに違いない。
澪は欠伸をひとつした後に上半身だけ起き上がった。
時計は7:12を指している。いつもより少しだけ遅い起床だ。
「…うっわぁ」
澪は自分の頬を撫でて途方に暮れた。ザラザラだ。昨日は化粧を落とし忘れて寝てしまったのを思い出した。急いで洗面所に向かった。
「ひ、ひど…」
アイメイクは好き放題にのびてファンデーションは所々はげている。枕やら布団やらに付いてしまったのを覚悟することにした。
とりあえず顔を洗う。なるべく丁寧に、優しく。もとからそんなに肌が強いわけではない。下地は絶対に必要な肌だ。化粧は仕事柄しょうがない。社会人は我慢が必要なのだと諦めたのは春だった。
テレビの電源をオンにするといつものニュースキャスターが今日も色々な報告をしてくれている。
《今朝はとても良い天気ですね。ですが、横浜駅では人身事故があったそうですよ》
《最近は多いですからね。気をつけないといけませんね……》
「…人身事故ねぇ」
澪は炊き上がった御飯を掻き混ぜながら溜息をはいた。人身事故、それは電車が止まったことも意味するわけで…つまり、どんなに早く起きようが寝坊しようが遅刻だ。だが、不思議と焦りはしない。理由はわかっていた。
溜息をもう一度だけ吐き捨て、キッチンに立った。
小さな印刷会社。名も知られないそこが澪にとっては大切な居場所だった。毎日、パソコンへ向かったり、書類の印刷や電話対応、お茶くみもした。
「…じゃぁ、元気でな」
それも今日で終わりだ。
澪は無表情にそう告げた上司の目を真っ直ぐに見つめた。彼はこれっぽっちも見てはくれないけれど。
澪は差し出された退職届けを受け取った。
だが、ソンナモノどうだってよかった。澪にはソンナモノよりも見たくないものが目に入ってしょうがなかったから。
「…お世話になりました」
目を逸らさなかった。
それは怒りでも怨みでもなくて。
仮面が少しでもズレないように必死だった。
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