高校の三年間で自分が成長したと感じられること
中学の頃の私は自分を知る人が居ない環境を求めていた。自分を変えたかったからだ。その頃のあまりにもシャイな私の性格を変えたかった。もっと積極的になりたかった。けど、それを変えるにはそのシャイな性格が災いした。周りの人が私を知っているという状況が邪魔だったのだ。だから、私は校区外の高校に入学した。そうすれば心置きなく自分を変えられると、その頃は信じていた。
高校に入学した頃の私は、積極的に手探りで友達を作っていった。その時までの私の友達は自分から歩み寄って作った友達ではなかったので、この行動は相当な勇気を要するものであった。そんな自分の勇気に酔っていたせいか、自分が成功者のように思えた。だが、中学校を卒業するまで自分を変えようとしなかった長いブランクは、私に重くのしかかる。
中学生の頃の私はその気になれば自分を変えられると思っていた。それができないのは周りが私を知っているせいだと誤解していた。話していても会話が続かなかったり、人から話しかけられても素っ気なくしてしまう内に、その誤解に気付き始めた。その誤解は長い間人と深く関わることを当たり前のように避けていた中学の頃においては気付きようもなかったものだと、そのとき悟った。そのころからか、私は人と深く関わらなくなっていった。中学の頃に私が抱いていた神話は見事に崩れたのだ。
だが、全く変わらなかったわけではない。中学の頃と比べて、人に話しかけられても気落ちすることはなくなったし、おどおどすることもなくなったし、精神的にも強くなった気がする。それに何と言っても、限られた少数規模集団内では積極的になれた。
今、私は弓道部に入っている。せめてこの部内においては変わりたいという気持ちを持ち続けたせいか、そこでは割りと積極的でいる。このことは自分の中では成長だと思う。けど、一番成長したことは中学生の頃に私の抱いていた神話が崩壊したことに起因する。その崩壊を契機として、過去の自分の在り方を反省し、自己を見つめ直し、そしてそれらが現在の自分の振る舞いや言動などを律していることが最大の成長と言えよう。そして、その成長が今の私の礎の一部となっている。
(去年高校三年生のとき、卒業にあたって書いたもの)
高校に入学した頃の私は、積極的に手探りで友達を作っていった。その時までの私の友達は自分から歩み寄って作った友達ではなかったので、この行動は相当な勇気を要するものであった。そんな自分の勇気に酔っていたせいか、自分が成功者のように思えた。だが、中学校を卒業するまで自分を変えようとしなかった長いブランクは、私に重くのしかかる。
中学生の頃の私はその気になれば自分を変えられると思っていた。それができないのは周りが私を知っているせいだと誤解していた。話していても会話が続かなかったり、人から話しかけられても素っ気なくしてしまう内に、その誤解に気付き始めた。その誤解は長い間人と深く関わることを当たり前のように避けていた中学の頃においては気付きようもなかったものだと、そのとき悟った。そのころからか、私は人と深く関わらなくなっていった。中学の頃に私が抱いていた神話は見事に崩れたのだ。
だが、全く変わらなかったわけではない。中学の頃と比べて、人に話しかけられても気落ちすることはなくなったし、おどおどすることもなくなったし、精神的にも強くなった気がする。それに何と言っても、限られた少数規模集団内では積極的になれた。
今、私は弓道部に入っている。せめてこの部内においては変わりたいという気持ちを持ち続けたせいか、そこでは割りと積極的でいる。このことは自分の中では成長だと思う。けど、一番成長したことは中学生の頃に私の抱いていた神話が崩壊したことに起因する。その崩壊を契機として、過去の自分の在り方を反省し、自己を見つめ直し、そしてそれらが現在の自分の振る舞いや言動などを律していることが最大の成長と言えよう。そして、その成長が今の私の礎の一部となっている。
(去年高校三年生のとき、卒業にあたって書いたもの)
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