バレット・シャーマン 1-0
混元既凝 氣象未效
無名無爲 誰知其形
─『古事記』
世界は言葉によって分断され、細分化されることによって初めて世界たり得ている。
そして、分け隔てられたものの間には厳然たるヒエラルキーが存在しており、我々自身も常にその作りあげられた枠の中に押し込められている。
世界各国にみられる創世神話も、或いは20世紀に無数に誕生してはその度に消えていった国際関係モデルも、世界と言葉、延いては人間とのそうした関係を顕した一つの側面に過ぎない。
今少し卑近な例を挙げてみよう。
例えばそう、『貴方』と『私』。
私達の共通点は、いずれも万物の霊長などとお高くとまった二足歩行する猿――人間である、という点と、翻訳という可能性を排せば同じ言語を用いている点との二点くらいでしかなく、恐らく、それ以外は確信をもって共通していると言える項はそうありはしないだろう。
貴方も、漠然と異なっている面の方が多いであろうと考え、ひとくくりにされるべきではないと思っているに違いない。
さて、ここで一つ考えていただきたい。
『貴方』は『言葉』を用いずに『貴方』と『私』との差異を、想像することができるだろうか。
『私』は『貴方』が今まで無数に読んできた書物の中の単なる一執筆者に過ぎない。
私は自分の著書に写真を載せてはいないから私がどのような容姿をしているのか、貴方は多分知らないだろうし、どんな声で喋りいかなる体臭を放っているのかなどはまず知りようがないだろう。
『貴方』が知り得るのは『私』の語る『言葉』のみだ。
故に、『貴方』にとって『私』という存在は、そもそも実体を持たないただの『言葉』の塊に過ぎず、その『言葉』という要素を取り払ってしまえば後には得体の知れない不定形で意味を持たない何かが転がっているだけである。
それはいうなれば表紙も中身も白紙になった書物のようなものだ。
当然ながらそのようなものと自己を比較するなどまずもって無理な話であろう。
いや、仮に私達が顔なじみであったとしても事態はそれほど変わらないかもしれない。
(中略)
そして、貴方自身はどうであろうか。
貴方は言葉を用いずに、『貴方』という存在を規定することができるだろうか。
─望月圓嘉『域と息』
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