ひなたの憂鬱3
二歳で祖母にひきとられ、青森で育った私。祖父、祖母、伯父二人の五人家族でした。時折、東京の母親から、洋服や、おもちゃが送られてきたが、なんせ青森という田舎に、それらの洋服は子供ながらに、そぐわないなぁ…というものだった。
ワンピースや、フリルのついたブラウス、いったいどこにきていくのだ?遊び場はもっぱら近くの川や田んぼなのに。もし着ていったら、友達は遊んでくれないかもしれない、と思った私が、それらの服を着る事はなかった。
当時の私には、罪悪感などはまだなく、それより祖父母が時々母親の事を嘆いているのを聞いていた為、母親=困った人、という方式ができてしまった。
何が困ったかというと、その頃両親はすでに離婚し、私の名字は父親姓のままで、予防接種等で使う母子手帳を送るよう、何度言ってもとうとう送られてくる事もなく、その上、母親は新しいお父さん、という男の人を連れてきたのだ。祖父母は仰天し、私を連れていく、という母親をどうにか東京へもどし、幼い私に今のままがいいよ、と絵本のよみきかせのように毎日いったのでした。
私は子供ながらにどうでもよく、明日の遊び等を考えているのでした。
ワンピースや、フリルのついたブラウス、いったいどこにきていくのだ?遊び場はもっぱら近くの川や田んぼなのに。もし着ていったら、友達は遊んでくれないかもしれない、と思った私が、それらの服を着る事はなかった。
当時の私には、罪悪感などはまだなく、それより祖父母が時々母親の事を嘆いているのを聞いていた為、母親=困った人、という方式ができてしまった。
何が困ったかというと、その頃両親はすでに離婚し、私の名字は父親姓のままで、予防接種等で使う母子手帳を送るよう、何度言ってもとうとう送られてくる事もなく、その上、母親は新しいお父さん、という男の人を連れてきたのだ。祖父母は仰天し、私を連れていく、という母親をどうにか東京へもどし、幼い私に今のままがいいよ、と絵本のよみきかせのように毎日いったのでした。
私は子供ながらにどうでもよく、明日の遊び等を考えているのでした。
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