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花の調べ 8

[552]  朝倉令  2006-05-19投稿


「私は当家の主(あるじ)小村壮吉と申します」


「いや、……勝手に上がり込んでしまいまして、何ともはや…」


「その事は別に宜しいんですよ。
ただ、お名前をまだ伺ってなかったもので」


「あ、はい、私、小田嶋裕一と申します。 これは家内です」



咲季から『老人ホームに行った』と聞かされていたご本人は、かくしゃくとしており、旧家の当主らしく品のある人物であった。



『壮吉、おだじまさんをいじめちゃダメでしょ?』


「いやいや、咲季姉さん、別にいじめている訳ではないんですよ」



小村老人は顔の前で左の手に否定の意を籠め、ゆるやかに振っていた。



それにしても、孫と言っても良い年ごろの少女を「姉さん」と呼ぶ老人の図は、何とも奇妙なものだ。




「こんな月夜は姉さんがピアノを弾いていると思いましてね」





小村老人の話によると、間もなくこの屋敷を取り壊す事になっており、姉である咲季にそれを告げるために立ち寄ったそうだ。



「実は右半身が利かなくなってしまいまして…
でも、姉さんとピアノは分け得ぬ一身ですので、どうしたものかと思案していたのですが……」



そこまで語った小村老人は僕らに穏やかな笑顔を向け、思いがけない事を提案してきた。



「小田嶋さん。 もし宜しければピアノを引き取って頂けませんか?」


「え!」『ほんと?』



我々夫婦と咲季は、同時に驚きの声をあげていた。



「ええ。 こう申して差し支えなければ、あなた方は本当の親子の様ですから」


咲季に「一人きりにはさせない」と約束した僕達に、異存などある訳がない。



ただ、妻の薫はそこでこんな事を言いだした。



「願ってもないお話ですけど… ねぇ、あなた?」


「え?何だい」


「……うちにグランドピアノって入るかしら」


「そ、それは……」



これも切実(かつ滑稽)な問題であった。






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