携帯小説!(PC版)

トップページ >> エッセイ >> ワーキング・プアからの脱出 31

ワーキング・プアからの脱出 31

[433]  楽園 海風  2008-06-25投稿
珍しく、妻が外まで見送りに出て、
「荷物、多いね。」
と、言いました。私は両手に大きな布袋を下げていました。その中には、どうしても持ち出したかった物が入っていました。気付かれたかと、一瞬ひやりとしましたが、振り返らずに、
「仕事で使うノートパソコンや。」
と、吐き捨てるように言って、足早に家を後にしました。布袋の中には、ノートパソコン以外に、娘と息子の写真アルバムと、愛用のカメラ、電子オーディオ機器が入っていました。
仕事が終わって、新たに借りたワンルームマンションの在る、駅前の携帯電話ショップの前から、
『家に帰りません。』
と、妻にメールを送信して、携帯電話をその場で解約しました。
明日からゴールデンウィークが始まり、出社せずに済みますから、妻が会社に押しかけて来る心配はありませんでした。だから、このタイミングで家を出たのてす。
5月の末、実家の妹から会社に電話があり、
「お義姉さんが、連絡して欲しいって。」
と、妻からのメッセージを伝えてきました。6月初めに、某ファミリーレストランで会う事にしました。
当日、妻は養育費等のお金の話ばかりで、一言も、家に戻ってくれとは言いませんでした。私は離婚の意志を固めました。
あれから3年になりますが、未だに離婚調停の連絡はありませ。3年前に、離婚調停に申し立てるようにと妻に言い渡してあるのに、妻は何もしていないようです。
ところが最近、この原稿を執筆中に私の実家から連絡が入り、妻から荷物が届いている事を知りました。今の所、4回に分けて、合計21個のダンボール箱が届いているそうです。
3年前、妻から、
『荷物はどうすれば良い?』
と、手紙が来ました。私は、
『父の形見のコートとカメラ、私の写真アルバムだけ実家に着払いで送ってください。それ以外は捨ててください。』
と、手紙で連絡しました。
あれから3年が経って漸く荷物を送って来ました。しかし、私の依頼は無視して、私に関する全ての物を、私の実家に送り付けて来たようです。私の依頼で守ったのは、着払いにするという事だけでした。
昭和52年4月、大阪府某市に在る、S大学工学部電気工学科に入学しました。
先述のように、高校時代はスポーツに全精力を傾けて邁進した結果私の成績は最悪の状態でした。最初は大学進学を全く考えていませんでした。
つづく

感想

感想はありません。

「 楽園 海風 」の携帯小説

エッセイの新着携帯小説

サーバ維持用カンパお願いします。
WebMoney ぷちカンパ

Twitterで管理人をフォローする

利用規約 - サイトマップ - 運営団体
© TagajoTown 管理人のメールアドレス