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ワーキング・プアからの脱出 56

[395]  楽園 海風  2008-07-16投稿
「何故、予科練に志願したの?」
と、訊いてみたところ、まだ、飛行機が民間では一般的でない当時、しかも中学生程の子供が、
「これからは飛行機による大量輸送の時代が必ず来る。軍隊で操縦を覚え、除隊して民間の航空会社を作りたいと思って志願した。」
と、答えが返ってきました。
結局、終戦のためにパイロットには成れず、故郷から某市に出て、自動車の板金塗装会社に就職しました。
塗装工として働き始めた父は、人一倍の負けん気の強さから、いかにすれば他人より早く仕事ができるかを考えながら、仕事に精進していたそうです。 そして、スプレーのかかる範囲を重ね合わせて塗って行く事で、普通の塗り方なら数回重ね塗りが必要な工程を、1工程の塗りで終了できる技術を体得しました。
父は日本で最初の塗装技能検定1級合格者です。 実技課題であったバス1台の塗装を、普通は5人で塗り上げるのに、父は1人で塗り、5人で塗っている組より早く、しかも出来上がりは全受験者中、最高だったので、特別優秀技能者表彰を受けました。
この当時の自動車修理塗装はラッカー塗料を使用し、自然乾燥させていました。乾燥に時間が掛かって効率的ではありません。 なんとか早く乾燥させる方法はないかと考え、裸電球を素手で握ると熱い事を思い出し、この電球の熱で早く乾燥させられないだろうかと考え付き、日本で最初の補修用焼付塗装の技術開発に成功しました。
この功績により、後に黄綬褒章、勲五等旭日小章、従五位を拝受しました。
無論、市長賞から大臣表彰まで、受勲までに全ての表彰は受けました。
昭和21年の春、6人兄弟の末っ子である父は、口減らしの意味もあって、15歳の若さで、単身、某市に働きに出されました。旧国鉄某駅の近くに下宿しました。 下宿と言っても、土蔵の中2階で、日当たりが悪く、カビと埃の匂いがして、決して恵まれた住まいと言える所では無く、中2階に上がるには、垂直の梯子を登るしか無かったそうです。
持ち前の負けん気の強さと、手先の器用さに研究熱心さによる創意工夫によって、3年もしない間に会社内では1番の塗装工になっていました。但し、勤務状況は決して真面目とは言えず、始業時間が8時なのに、11時頃ようやく出勤して、社長の奥さんに小言を言われていたそうです。
つづく

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