もう、哀しくもないけれど。
苦しい、とは、何だったでしょうか。
今まで、随分無理を重ねて来たけれど、ただ体のダルさばかり感じます。
そんな時は、辛いと思わなくも無いけれど、多少の辛さは、皆抱えているものですから。
動けないのは、動かない私が悪いのです。
食べ物が食べられないのも、只の私の贅沢です。
眠れないのは、自己管理がなってないからですね。
だから私は、動き、食べ、眠ったふりをします。
人の見ていない所では、そりゃ、サボりますけど。
それにしても、なぜ、友達が居ないと変な目で見られるのでしょうね。
友達と話すとなると、色々やらなければならない事が一気に増えてしまう。
テレビを見たり、ファッションを研究したり、好きな人をつくったり。
何より、嬉しいだとか楽しいだとか、余計な感情を動かさなければいけない。
困ったものです。
教師を見ていて解るように、私達にそれは必要無いものです。
私達は、機械です。
辛いとか、悲しいとか、寂しいとか。
それが何になるのですか。
辛ければ、逃げられますか。(…どこに?)
悲しければ、優しい言葉をかけて貰えますか。(…その言葉こそ、悪魔のものかも知れないのに?)
寂しければ、誰かが側に居てくれますか。(…本当に、見捨てる事なく?)
楽しいとか、嬉しいとか。
それだけ感じて生きていたなら、甚だ楽だろうとは思うのですが、どうも巧くいかなくて。
私は、鏡の前で笑います。
笑って、自分を切り刻みます。
もっともっと壊さなければ。
とても生きては行けないのです。
私は機械です。
笑う、人形です。
感想
感想はありません。