今は感謝しているよ…
半年前元気に電話をして来た。用事が無いとお互いに連絡しあわないほど、仲の悪い母子だった。
「いつ行き逢える?」というものだ。でも、顔を見る度に喧嘩ばかりで、母子家庭で子供二人抱える私にはうっとおしいだけだった。
「忙しくて時間が取れない。」
と告げた。それが私が母と話しをした最後だった。何しろ母は愛知県で私は長野県と離れているため、そんなに容易く行き逢えなかった。
行き逢ったのは、その電話の3年前であった。電話も3年ぶりだった。しかし、一人で暮らす母は半年前の電話のあと突然この世から消えた。近くに住む妹から半年後に突然電話があった。この妹とも5年ほど行き逢っていなかった。
「お姉ちゃん、お母さん死んだ…最後に行き逢って1週間ぶりに行ったら、下血と吐血で救急車と警察来たけどもう駄目だった。」
とにかく、驚いた。一目散で子供と駆けつけた。夏だった事もあり、完璧に肉体は腐っていた。
私は悲しいとは思えなかった。親戚が
「死んだ人の悪口を言ってはいけないが、怖い人だった」と言った。私も言った。
「損な性格の人だったと思う。」
71で孤独死だった。幼少の頃から女手で私と妹を育ててくれた。だが、子供を愛せなくて顔を見る度にお酒を飲みながら暴言を吐く人で誰からも愛されなくて可哀想な人だった。妹も言った。
「うっとおしいだけで、好きになれなかった。」
誰も泣く者もいなく本当に可哀想な人だった。
葬儀も終わり、三回忌も終わった。写真の中のあの人は可愛い笑顔だ。頑張って愛してあげたらあの人も変わったかもしれない。自分を責める事も多々ある。一緒にいると息が詰まり距離をおくしか私自身の身を守れなかった。
でもね、今は冷静に思えるの。感謝してる。まだ貴女を好きにはなれない自分を許せないけど、ごめんなさい。そして、親孝行も出来ずごめんなさい。私もいい歳なんだから貴女の苦労や不器用さをわかってあげなきゃね。
お母さん、好きにはなれなかったけど…もっと生きていてもらいたかったです。
「いつ行き逢える?」というものだ。でも、顔を見る度に喧嘩ばかりで、母子家庭で子供二人抱える私にはうっとおしいだけだった。
「忙しくて時間が取れない。」
と告げた。それが私が母と話しをした最後だった。何しろ母は愛知県で私は長野県と離れているため、そんなに容易く行き逢えなかった。
行き逢ったのは、その電話の3年前であった。電話も3年ぶりだった。しかし、一人で暮らす母は半年前の電話のあと突然この世から消えた。近くに住む妹から半年後に突然電話があった。この妹とも5年ほど行き逢っていなかった。
「お姉ちゃん、お母さん死んだ…最後に行き逢って1週間ぶりに行ったら、下血と吐血で救急車と警察来たけどもう駄目だった。」
とにかく、驚いた。一目散で子供と駆けつけた。夏だった事もあり、完璧に肉体は腐っていた。
私は悲しいとは思えなかった。親戚が
「死んだ人の悪口を言ってはいけないが、怖い人だった」と言った。私も言った。
「損な性格の人だったと思う。」
71で孤独死だった。幼少の頃から女手で私と妹を育ててくれた。だが、子供を愛せなくて顔を見る度にお酒を飲みながら暴言を吐く人で誰からも愛されなくて可哀想な人だった。妹も言った。
「うっとおしいだけで、好きになれなかった。」
誰も泣く者もいなく本当に可哀想な人だった。
葬儀も終わり、三回忌も終わった。写真の中のあの人は可愛い笑顔だ。頑張って愛してあげたらあの人も変わったかもしれない。自分を責める事も多々ある。一緒にいると息が詰まり距離をおくしか私自身の身を守れなかった。
でもね、今は冷静に思えるの。感謝してる。まだ貴女を好きにはなれない自分を許せないけど、ごめんなさい。そして、親孝行も出来ずごめんなさい。私もいい歳なんだから貴女の苦労や不器用さをわかってあげなきゃね。
お母さん、好きにはなれなかったけど…もっと生きていてもらいたかったです。
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