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魔女の食卓 8

[385]  矢口 沙緒  2009-11-15投稿


もちろん『はい』と答えると彼は信じていた。
彼の前では女性はみんなそうだった。
彼が何かを頼めば、必ず『はい』と答えた。それも嬉々として。
みんな彼の期待に喜んで応えようとした。
だから自分がこう頼めば、あのクッキーは必ず明日には手に入る。そう決めつけていた。しかし、川島美千子はまた困った顔をした。「実は私、明日から三日間休暇を取ってるんです」
「休暇?」
「ええ、有給休暇。
といっても、別にどこにも行く所があるわけじゃないんですけど、でも会社のほうが、少しは有給休暇を取らなくてはいけないと。だから仕方なしに取ったんですけど」
「となると、次の出社は?」
「来週の月曜日になります。
ですから来週の月曜日でよろしければ、クッキーをお持ちしますが、明日はちょっと無理なんです」
またも石崎武志の予想は大きく裏切られた。三日間の休みプラス土曜日曜の休みが加わって、彼はクッキーを月曜日まで待たなくてはならなくなった。
「そうか、それは残念だな。
しかし、そういう事情ならしかたがない。じゃ、月曜日に頼めるかな?」
「はい、分かりました」
そう言って川島美千子は微笑んだ。
石崎武志は彼女の笑顔を初めて見たような気がした。
「じゃ、悪いけど頼むね」
彼はそう言って川島美千子に背を向けると、自分のデスクに向かって歩きだした。
その時、彼の中に鮮烈な記憶がよみがえった。
たったひとつの、なんの飾り気もない小さなクッキー。
それを無造作に口に放り込んだ、あの瞬間の記憶。
不思議なくらい心地よいサクッとした感触。そして何よりも彼を驚かせたのは、生まれて初めて遭遇する独特の香り。
いくつもの香料を微妙なバランスでミックスした、その豊かな香りに、バターの香ばしさがブレンドされて、それが口の中いっぱいに広がり、やがてゆっくりと鼻を抜けて消えてゆくまでのその間、彼はそれをひとつ残らず楽しむために、自然と目を閉じていた。
その時のあの香りが、今再び彼の脳裏にはっきりとよみがえった。そして、彼の欲求本能は彼に訴え続けた。
あのクッキーをもう一度、今すぐに…
それは、とても四日も五日も待てるものではなかった。
石崎武志は踵を返すと、再び川島美千子の所に歩み寄った。
「あの、川島君」
デスクに戻ったと思っていた石崎武志に急に後ろから声をかけられて、川島美千子はびっくりしたように振り返った。

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