魔女の食卓 33
藤本はしばらく黙っていたが、やがてその重い口を開いた。
「一度だけ
『サマンサ・キッチン』
という名を聞いたよ。
わしの古くからの親友でな、やはり食べる事が非常に好きな男がいた。
ある日、彼はわしにこう言ったよ。
『最近、素晴らしいレストランを見つけた。
すっかりハマってしまって、通い詰めだよ』
とな。
彼の料理に対する評価はいつも辛口で、その彼がこんなに誉めるのを、わしは見た事がなかった。
じゃ、今度連れていってくれ、とわしが頼むと、
『そうだな、そのうちにな』
と彼は答えた。
それから彼は、そこで出される料理について語り始めた。
『たとえば、ハンバーグってあるよな。
デミグラスソースのかかったやつ。
あれなんかは店によって味がまちまちだろ。
ある程度以上の店で食べれば、みんなそこそこ美味しいが、でもどの店でも、味は微妙に違うよな。
だから、あの店のハンバーグはうまいとか、この店のハンバーグは口に合うとか。
つまり、味っていうのは個人の好みが大きく左右するものだと思っていた。
微妙な味の違いは、料理人の個性でありセンスだと思っていた。
同じハンバーグでも千差万別の味があって、その中から自分の口に最も合う物が、その人にとっては一番美味しいハンバーグって事になるんだと、そう思っていたんだ。
でも、それが間違いだったって分かったんだよ。
あの店に行ってから。
料理の味や香りっていうのは、素材に対して何百種類あるか分からないスパイスやハーブ、あるいはワインやリキュール類の酒、世界中のいろいろな調味料、そして料理法。
それらの組み合わせで作られる物なんだよ。
この組み合わせは無限に近くって、ようするに料理とは組み合わせの魔術なんだ。
だから同じハンバーグでも多種多様の味ができる。
それぞれに、その組み合わせが違うからだ。
よく、料理は芸術だと言う人がいる。
しかし、そうじゃなかったんだ。
料理とは、数学だったんだよ。
そして数学である以上、正解はたったのひとつしかないんだ。
ハンバーグという問題に対しての正しい答は、その幾千という組み合わせの中で、たったひとつしかないんだ。
その正解を口にすれば、ほかの答がすべて間違いだという事に気付く。
料理人の個性もセンスも関係ない。
個性の好みもなにもない。
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