呼び人 10
「で、何しに来たんだ」
冬夜は去ってしまった安らぎの世界を名残惜しく思いながら、仕方なく立ち上がり苛々と頭を掻き回す。
伊織の姿を見る限り、いつも出かける時に持ち歩く鞄を肩に下げてきっちりと結わえた髪から、どうやらこれから大学へ行く途中でここへ寄ったらしい。
「何って、弟を起こしに来た」
「はぁ?…まさかテメェ、またそれだけの為に来たとか言うなよ」
「悪いのか?」
「おいおい…マジかよ…」
怒りを通り越して悲しくなった。
どうして。
「何で毎日毎日来る!!もう俺だっていい年なんだからよ、いちいち来なくていいって言ってんだろ!?朝なら母さんが起こしてくれる!」
声を荒げて言い返すと、不思議な程いつもの彼女らしくなく静かな声音が返ってきた。
「お前はいいかもしれんが、私は…駄目だ」
「なんだよそれ。…は、弟離れ出来ないおねーちゃんってか?」
茶化すつもりで言ったのに彼女はまた静かに、真っすぐその瞳を冬夜に向けて言った。
「もし私かお前のどちらかが学校に行っている間にいなくなったらどうする。…朝会っていればよかったのにと後悔するのは嫌だ。それに、私達が一緒にいる時間なんて、全く少ないんだ」
「…ーーー…」
『いなくなったら』。
それは永遠にこの世界からいなくなったら、つまりは「死」を意味する。
滅多に見ることのないどこか寂しげな姉の表情に、冬夜は何も言えなくなってしまった。
…まだあの事を気にしているのか、伊織は。
バツが悪そうにぼそりと呟く。
「……お母さんとか、家の人には言ってあんのかよ」
「それは問題ない。了承済みだ」
「…ふぅん」
「あの人達は優しいからな」
ふっと笑った彼女の顔が優しくて、冬夜は僅かに目を眇る。
優しいのか。…それならばよかった。
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