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流狼−時の彷徨い人−No.35

[441]  水無月密  2010-01-13投稿
 帰路についた政虎は今会戦を振り返り、忸怩たる思いでいた。
 指揮官級の戦死者は出さなかったものの、この戦いで実に三割近い兵を失っていた。
 これだけの犠牲を払い信玄に上杉家の強さを知らしめたものの、逆にそれが信玄を頑なにしてしまい、同盟を結ぶという目的を果たすことができなかった。


 同盟が成らず、信玄を切ることもできなかった半次郎は己を責め、完全に自信を喪失してしまっていた。
 その半次郎の姿は、この旅団の中になかった。
 話は数刻前まで遡る。



 本陣に戻った政虎は、力まかせに半次郎を殴りつけた。
「貴様、生きて戻ると約束したであろうがっ!」
 抗うことなく生を終えようとしたことに、政虎は激怒していた。

 その政虎を見ることができず、半次郎は項垂れたままでいた。
「……私は大言壮語しておきながら、信玄を切る事ができませんでした。
 刀を振り上げた瞬間、一度だけ父が褒めてくれた時の記憶が甦り、私の覚悟を跡形も無く消し去ってしまった。
 ………私は、度し難い愚か者です」
 半次郎の頬を、とめどなく涙が流れ落ちた。
 それは幼くして苛酷な宿命を背負い、それでも一度として政虎に見せなかった、半次郎の弱さであった。

「……半次郎、それでよかったのだ。平気で肉親を切れる人間に、人はついてはいけない。
 お前はただの剣客ではない、多くの人を導く運命にある者なのだ。
 だから、それでよかったのだ」
 春の陽射しのような政虎の言葉が、半次郎の心の痛みを和らげていた。
 思えばたった一つの優しさしかくれなかった信玄に対し、目の前の政虎は星の数ほどの優しさをくれた。
 半次郎にとって親の情を教えてくれたのは、信玄ではなくこの政虎なのである。

 だが、その情に甘えることは、今の半次郎には許されなかった。
 今会戦において、おそらく戦死者は一万に近い数になるだろう。
 同盟がならず、信玄を切ることもできなかった半次郎には、その死を無駄にしてしまったという、自責の念があった。
 英霊達に詫びる方法があるとしたら、己の弱さを打ち消し、なすべきをなすしかないと、半次郎は考えていた。

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