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コブラ

[561]  古代魚  2010-03-31投稿
 答えが欲しい人に、疑問は失礼だと思うが、久々の登場です。人間は蛇使いに喩えられるように、例えば人間とは訳の分からぬ者だ。人間とは、どうでも良いのだ。そんな人間を蛇使いはコブラで表現する。生きるも危険だし、振り返るのも危険だ。過ぎたる者は喰われ、人間の胃袋を満たす。満たされない第三者は、人間になりたくてウズウズしている。人間とは蛇使いの類だが、人間の胃袋を満たすとなると人間しかいない。人間だけが人間の胃袋を満たすのだ。


 もし、人間以外の他の動物が人間の胃袋を満たすとなると事は重大である。人間の重大になる。重要視されたければ蛇使いになるべきだ。コブラを操り、観客の前で挨拶させる。観衆は喜び、コブラに褒美を与えたろう。危険なものは愛される。それが人間だ。優しさは骨になる。それが愛情だ。骨だけだと愛情に左右される。愛情以外、危険をオモチャにし、振り回す様はない。危険は売り物だし、店で列んだ商品だ。


 遊びで誤魔化すべきではないが、人間として見た場合、コブラも遊んでいるに過言ではない。コブラは人間の調教だし、人間はコブラの人生だ。人間は危険に身を焦がし、安心して寝てられない。人間によるものはコブラの仕打ちだ。だとすると、危険なコブラを野に返すより外に、人間の使用に耐える商品に作り上げ、店先に並べてみる。商品はコブラのように説明を求めるだろう。身の代金を要求し、人間の懐に毒針を仕込むのである。あわや天国である。


 人間は麻薬に犯され、犯罪と調教の狭間である。人間の犯罪にコブラを取り上げ、人間の自由に利用しようとした。自由とはコブラで危険なものだ。安心してられるのは羊かしないと寝てられない。羊も安心から外し、人間の道楽に使ってしまう。人間の道楽とはコブラの毒牙だが、コブラの毒牙からでも安心が噴き出す。人間とは蛇使いといったが、摩耶かしでも何でもない。覚醒したものを相手に仕込んで立ち上がらせなくする。それが蛇使いから学んだ人生の教訓だ。



感想

  • 40854:日本〇没、舌足らずになるな。折角の日本沈没が台無しになる。[2011-01-17]
  • 40890:屁を匂え!あっ、今日はヤバい。ヤバいのがオモシロい! [2011-02-04]

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