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ベースボール・ラプソディ No.62

[711] 水無月密 2012-08-05投稿
 綾乃が初めて八雲と出会ったのは、小学校に入学する少し前の頃だった。

 その頃の綾乃は親の転勤でこの地を離れる事が決まっていて、大好きな町並みを記憶にとどめておくため、近所を歩き回る事が日課になっていた。


 そして通りすがったこの公園で、彼女は野球に興じる兄弟に出会った。

 楽しげに遊ぶ兄弟の姿に心ひかれた綾乃は、残され時間をこの公園の片隅ですごした。



 月日が流れ、この地に戻ってきた綾乃は、記憶の中で色あせることのなかった兄弟との再開に心躍らせていた。


 だが、再会した八雲は野球を厭い、あの頃の笑顔を失っていた。

 唯一あの頃の輝きをとどめていた小次郎から事情を知らされた綾乃は、必死に八雲の笑顔を取り戻そうとしていた彼を応援し、成り行きを見守っていた。


 しかしながら要であった小次郎はこの世を去り、八雲は野球に対して完全に心を閉ざそうとしていた。



 動かしかけた細い指先を握りしめた綾乃は、無言のまま鉛色の空を見上げていた。

 そして目を閉じた彼女の頬に、ひとひらの雪が静かに舞い落ちる。

 その雪が儚くとけて流れ落ちた時、彼女は奥歯を噛み締めた。


「……離して」

 細い腕に突き飛ばされて雪の上に尻餅をついた八雲は、言葉なく綾乃を見上げていた。


「小次郎君はあなたに野球をしてほしくて、がんばり続けて全てを失ってしまったというのに、あなたはまだ野球から逃げつづける気なの?」

「………」

 無機物な表情で見つめる綾乃に、八雲は言葉をかえすことができなかった。


「……情けない人。
 こんな人のために頑張りつづけいたなんて、小次郎君が可哀相すぎる」


 声をふるわせた綾乃が、八雲に背をむけて歩き出す。


 一度も振り返ることのない後ろ姿を見つめる八雲は漠然と感じていた。

 綾乃が好きなのは自分ではなく、小次郎なのだろうと。

 うなだれる八雲は、自分の滑稽さをただ笑うしかなかった。




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