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短編 トンネルのなかで 前編

[814]  ゆうこ  2008-10-29投稿
深夜のトンネルを、僕は車で抜けて行こうとしていた。

助手席に座った女は深々と頭を下げていて、寝ているように見えた。

僕自身は「怪談」などを割りと信じている方だったから、オレンジ色に輝くトンネルを午前2時に通るのに嫌な気がして仕方なかった。

それでも僕は急いでいたし、個人的な理由からもこの道を通らざるを得ないのだ。

出口の見えぬトンネルに入ると、辺りは異様な光に包まれる。

独特の気味悪さが、あらゆる怪談話を生むのだろう…などと考えていて、僕はその瞬間、通り過ぎた黒い影に気付き、思わずスピードを緩めた。

人だ。

こんな時間に、女が歩いている。

しかも、手に握っているのはバギーじゃないか。
バックミラー越しに解るのはその程度で、赤ん坊が乗っているのかどうかまでは解りかねた。


ぞっとする。

…とは言いつつも、僕は好奇心を抑え切れない。そこが僕の悪い癖だ。
つまらないことに足を突っ込んでは、面倒ごとに巻き込まれる。

それでも僕は結局、ちらりと助手席に目をやりつつ、車を止めた。
多少、予定が狂った所でどうなるもんでもない。

後方からゆっくりとやってくる女に、僕は近づいていく。


三メートルくらいまで近づいた時、女が止まった
警戒しているのかもしれない。

僕は声をかけた。

「大丈夫ですか、こんな遅くに」

女の長い髪が顔を隠していて、ハッキリとは解らないが…どうやら若くはないようだ。

…いや、むしろ老婆に近い。

僕が一歩、さらに近づくと、女は反対に一歩下がった。

もう一度言う。

「大丈夫ですか」

女は顔をあげ…やはり老婆だ…顔の割りあいからすると大きすぎる両目を見開いた。

「私に近寄らないで」

キィキィと甲高い声は耳障りで、筋ばった首元に血管が浮かび上がる。

幽霊ではないらしい。
血管がある幽霊など興ざめだ。


僕は首を振り、僅かに残った興味を掻き立てた。
「何をしているんです」
老婆は答えず、ギラギラと憎しみさえ漂う形相で意を決したように進み始めた。

「気が狂ってるんですよおかしいわあの人。私に構わないで。ああ、泣いてしまった可哀相に。怖くないわ。怖くないのよ本当よ」

絶えずさえずりながら、老婆は向かってくる。

可哀相に、どうやらこれが世に言う「痴呆」「徘徊」というものらしい。

僕は憐れみの目で老婆が通り過ぎるのを待った。





後編に続く

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