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猫の手 手帖3

[484]  猫の気持ち  2009-03-27投稿
干支と言えば、中には知っておられる方々もあろうが、吾輩達の中では古くから伝わる話がある

それは昔のある日のこと。神様の使いがそれぞれの動物さんたちに干支の順番を決める日時を知らせに来たそうで、吾輩達のご先祖様の場合、それはもういつもと変わらず暢気気ままに寝ながらその知らせを聞いていたそうだ。その後ぱっちりと眼がさめた際に「まあそうめったにないことだから、ここは手際よく一番を戴くことにしよう」と、ふと思い直したが、何せ軽い気持ちで聞いていたため日時が思い出せない。で仕方がないので鼠さん捕獲に直ちに取りかかり、日時を教えてもらったかわりに逃がしてやった。その鼠さんに教わった当日、神様の元へと早くから出掛けたご先祖様、しめしめ誰もいない、一番確定と思いきや、いくら時が過ぎても誰も来ない。ちょっこら何かの用事で出てきた神様に事情を聞くと、干支の順番づけはもう昨日決められたそうで、一番を獲得したのはみなさんご存知、鼠さんというお話だ。

それは吾輩たちの、そんな狙い澄ましたチャッカリ者という長所も、それをいいことに自惚れていれば、知らぬ間にウッカリ者にされてしまうと言った教訓手引である。実際神様は、以後この点を反省するようにと吾輩たちに頻繁に顔を洗う習性を備えつけたらしい。

ともかく吾輩たちと鼠さんとの関わりには古くからの歴史がある。紐解けば、この干支の逸話といい、ドラえもん耳なし事件といい、必ずしも弱肉強食の法則が成り立つとは限らず、うかうかと甘んじていられない。

そんな訳で吾輩も勉学に励むことになる。まずは自分を知らなければならぬぞと漢和辞典を開けば「猫」とある。獣の「苗」、稲に成りうる可能性を秘めたる存在かと自覚する。しかし今日のパン食の増大を見ると、やる気も半減する。どうせ食べられてしまうので吾輩とすれば、もうどうでもいい。

さらに調べるて行くと、「苗」に「手」が付くと「描」になる。吾輩も掌を手前にして見つめること、この手が獣に取って代わると「描」になるのかと、再度辞書に視線を移しては考える。

なるほど、吾輩も鼠を追い回す獣性など捨て去り、めまぐるしく変わる現代社会の中、猫の手も借りたいほど忙しい方々の、心亡くして忘れてしまった数々の風景、多忙知らずの暢気なる吾輩が、描いて埋めるがわが使命かと、誰に頼まれるもなく、熱く燃える次第。

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