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猫の手 手帖

[540]  猫の気持ち  2009-03-29投稿
「子は親の背を見て育つ」と人は言う。しかし、猫も負けずに親の背を見て育つ。その点で吾輩も等しく猫の背を見て育ったことになる。実際、この吾輩の暢気さも、もともとの素性余すことなく備わった結果と言えるのだが、一方、代々なされてきた親の背の結果でもある。

すれば吾輩の暢気さに不服のある者、「親の顔を見てみたい」と言って異議申し立てするは、正当な訴えである。反対に生来の暢気さとして睨むは、逆恨みと言うものだ。

しかし今日の吾輩から申すと、残念ながら、もはや親の行方は知らない。しかも今さら吾輩の親の顔を見たとて大した結果は多分出てこない。いずれにせよ何の因果か、気付けばこんな猫に育ってしまった吾輩である。

思うこと、吾輩たちの背中とはどんなものものだろう。昼寝なんかの上手に丸められた背中を始め、危険対象を注視した緊張感あふるる背中、あるいは小高きより落ちる時なんかの捻りに富む柔らかき背中など、身内を誉める訳ではないが、なかなかのもんである。それから、いざという緊急時に備えた瞬発力の、一時も無駄にしちゃあならぬとばかりに、のらりくらりと歩みゆく後ろ姿なんかは、まさに背中で教えるところの最たるものだ。

しかし背中で育つと言っても、人と猫とでは違っている。人の世では背筋なるものピーンと伸ばすが好みだが、吾輩どもは猫背の方が好みである。

いやはや人々の暮らしの中、一般的に猫背は軽蔑されているが、しかし柔道なんかは、いなかっぺ大将の恩師ニャンコ先生でわかる通り、猫背からの発展だ。また背筋を伸ばすなんて言うものも所詮、寝起きの際になされるところの、自分自身でも得体が知れぬ、お尻を突き上げては前方気味の前足頼りに自ら伏せる、あの動作ぐらいで充分足りる。

ところで世の中は、背中で育つ一方、正面からの教育にも囲まれる。その正面からの教育にたいしては人それぞれ対応も異なり、結果、その対応方法の是非がからんでか、あれこれ生徒の中でも争いが生じる。その点、吾輩たちの場合、ほとんど共通した澄まし顔で対応するため、それが原因で起こる内輪揉めはほとんどない。

そう言えば、昔、ツッパリスタイルの「なめ猫ブーム」とやらが起こったが、本心を言えば、別に舐められたところで痛くも痒くもない。むしろ冷めぬまま出される出来立てのスープ方が、ずっと応える。

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