心残り
傷跡は細く、深い。
痛みが彷徨う。
すべてを忘れたい。
どうすることも出来ない。
包丁を右手に持つ。
左手首を差し出す。
刃先を優しく滑らせる。
血が溢れ出る。
が、やがては止まる。
死ねない。
死ねない。
死ねない。
死ねない。
首に縄を巻く。
両手に縄の端を持つ。
思い切り引く。
血流は止まる。
が、すぐに動き始める。
死ねない。
死ねない。
死ねない。
死ねない。
死にたい。
そう思い立ったのはいつのことか。
ただただ生きることに飽きたある日、死にたい欲求を抱き始めた。
池の水面に顔を映し、お前は誰かと問い掛ける。
ひと昔前の肌艶は消え、生気を帯びない目尻はまるで屍人のようだった。
このまま醜く朽ちるなら、いっそ今死んでしまおう。
死のうと考えて幾日が経つが、死ぬのがこれほどまでに難しいとは。
心の弱い私には、確実に死ぬ方法をとることは出来ずにいた。
飛降りも、入水も、首吊りも、練炭も、薬も。
ただ痛みを感じない死に怯えていた。
死んだことに気付きたい。
どうしようもなく気付きたい。
不可能なのは分かっているのに。
歩みを止め、立ち尽くす。
ふと、暗転した世界。
空が地面に。
鉄の匂い。
騒音。
喧騒。
痛み。
痛み。
鈍い痛み。
どうやら私は悩んで立ち止まった末、車にはね飛ばされたみたいだ。
全身を温い水が包んでいる。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
だがこれで死ねる。死ねるのだ。
沸き上がる感動。
生を捨てる感動。
しかし蟠りが一つだけ。
心残りが一つだけ。
私は死んだわけじゃない。
殺されただけだってこと。
私はまた死ねなかった。
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