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魔女の食卓 13

[412]  矢口 沙緒  2009-11-16投稿


川島美千子は一度厨房に引っ込み、すぐに四角い銀色の大きなトレーを運んできた。
二皿のカレーライスとスプーン、そして大きめの縦長のグラスには、氷を浮かべた水が入っている。
彼女はそれをテーブルに並べると、石崎武志と向かい合って座った。
彼の前に置かれたカレールーの色は、ほとんど黒に近かった。
「どうぞ、よかったら召し上がって」
石崎武志はスプーンを取ると、そのカレーを口に運んだ。
それは彼が今まで一度として口にした事のないカレーだった。
いやそれどころか、似たような味のカレーすら思い浮かばなかった。
その辛さは、辛いと思わせるギリギリ間際で押さえられ、ほのかな甘さと、ほんのわずかな心地よい苦味と酸味が混ざりあい、そして表現のしようもない複雑な、だがしっかりと計算された魅惑の香りが、口から溢れんばかりに広がり、何も欠けるものはなく、また何も足す必要がない、それはまさに完成された芸術作品だった。
彼はひたすら食べ続けた。
そして、食べれば食べるほど、彼は自分の視野の狭さを思い知った。
今まで自分は食べ物を『美味しい』とか『美味しくない』、あるいは『口に合う』とか『口に合わない』、そんなふうにしか見ていなかった。
しかし今はどうだ、物を食べて初めての経験。
このカレーを食べ味わい、その芳香を満喫する事が、なんと『楽しい』のだ。
本来、物を食べるという事は楽しい事だったのだ。
それを彼は初めて知った。
シャーベットがカウンターから降り、川島美千子の足元まで歩いてきて、ミャーと鳴いた。
「あら、ダメよシャーベット。お客様がお食事をしている時に、パタパタと歩き回っちゃ。
いい子にしてるのよ」川島美千子が優しく悟すように言うと、シャーベットはまた一声ミャーと鳴いて、カウンターまでスタスタと歩いていき、フワリと飛び乗った。
まるで大きな白い毛玉が移動しているようだった。
彼女は自分のカレーにはまったく手をつけず、一言も口をきかずに夢中で食べ続ける石崎武志を優しい笑顔で見ていた。
やがて彼は最後の一匙を口に入れ、それをゆっくりと味わいのみ込んだ。
そしてグラスの水を一口だけ飲むと、大きなため息をついた。
「いやぁ、本当に美味しかった。
と言うより、正直ショックを受けていると言ったほうが正しいかもしれない。
このカレーはいったい」
「それは『サマンサ・キッチン』のカレーです」

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