最終バスの運転手
バスの最終便。乗客は俺一人。
この辺りに住んでいる学生は俺だけだった。それほどの田舎なので、夜の9時頃になれば、すでに外に人影はない。
だからこんな事は珍しくなかった。
ケータイをいじくりながら、いつものように終点まで過ごす。すると、急に運転手が話しかけてきた。
「お客さん、いつもこの時間乗ってるね。高校生……かな?」
最終バスの運転手はいつもこの人。白髪混じりの薄くなった頭。恰幅のいい顔。優しそうな垂れ目。50代くらいのその男性は、見るからに人の良さそうな印象だ。
部活で疲れていた俺は返事をするのも面倒だった。
とは言え、この状況でだんまりし続けるのも気まずい。
仕方なく運転席を一瞥してから、
「ええ、まあ」
と適当に相槌を打つ。
「こんなに遅くまで部活? 大変だねぇ」
「ええ」
少しの間が空いた。
溜め息をつくと、エンジン音がそれをかき消した。
「確か、いつも終点で降りてたよね? お家って、川の先の本島地区のほうかな?」
何でそんなこと聞くんだ?
不審に思いながらも、
「いえ、そっちじゃなくて、神社の方です」
と答えた。勿論嘘だったが。
「じゃあ、桐沢地区の方か。でも、この辺りからだと、通学も大変でしょ?」
「いえ、もう慣れました」
また間が空いた。奇妙な間に思えた。
「そうか、まあ、バスが通ってるだけましだよ。私が学生の頃は、ずっと歩きだったからね。」
と彼は笑う。その言い方に、どことなく違和感を覚えた。
とにかく、俺は愛想笑いを返した。
会話が途切れてから、バスの中は異様なほど時間が長く感じられた。しかし、もうすぐ終点だ。ようやくこの空間から解放される。
だがその思いとは裏腹に、バスは終点の停留所を通りすぎた。それでも構わず、運転手はまだバスを走らせている。
「すいません。もう、終点過ぎましたけど……」
椅子から軽く腰を上げ、運転席を見る。が、反応がない。
体が異常だと察知したのか、焦りと変な汗がわき出てきた。
運転席に近寄りながら、もう一度言う。しかし、バスは止まらない。不安と焦りは、次第に恐怖へと変化した。
「運転手さん! 終点過ぎましたよ! バス止めてください!」
平静を失い、変なトーンで懇願すると、ようやくバスは止まった。運転手がくるりと振り返り、笑いながら頭を掻いた。
「すいません。ちょっと考え事してて。疲れてるんです」
そんなバカな。明らかに嘘だ。
「とにかく、早く降ろしてください」
運転手がドアを開けると同時に、金を払って外へ飛び出した。
それから、急いで家に向かった。
あの運転手は何か変だ。
先程の事が頭を過る。
しかし、それから解放された嬉しさの方が大きかった。
家に着くと、鍵は開いていたが、中は真っ暗だった。家族は皆、寝ているらしい。もう10時30分を回っている。
居間のテーブルを覗くと、ラップしてある夕食を見つけた。
それを温めている間に、古いアナログテレビをつけた。
テレビを見ながらの一人寂しい食事を終えると、丁度ニュース番組が始まった。
それにしても、さっきから何だか辺りが少し騒がしい。こんな時間に、一体どうしたのだろう。
テレビ画面に目を移すと、この辺りの景色が、アナウンサーのバックに映った。
「先程、10時40分頃、N県S村の桐沢地区で、県営のバスが暴走する事件が発生し、病院に搬送されました。」
えっ!?
一瞬、驚きで理解することが出来なかった。
「警察は、このバスの担当運転手、朝間藤彦54歳を容疑者と断定」
画面に、あの運転手の顔写真が映し出された。
「朝間容疑者は、数日前から職場の同僚に、毎日最終バスで終点まで乗る高校生に腹が立った。あいつがいなければ、早く帰れるはずなのに、と愚痴をこぼしていたそうです。なお、容疑者は現在も逃走中で……」
そこで、玄関の戸が騒々しい音を奏でた。
こんな時間に誰だろう。
不思議な事だが、画面の運転手の顔が笑みを浮かべた気がした。
この辺りに住んでいる学生は俺だけだった。それほどの田舎なので、夜の9時頃になれば、すでに外に人影はない。
だからこんな事は珍しくなかった。
ケータイをいじくりながら、いつものように終点まで過ごす。すると、急に運転手が話しかけてきた。
「お客さん、いつもこの時間乗ってるね。高校生……かな?」
最終バスの運転手はいつもこの人。白髪混じりの薄くなった頭。恰幅のいい顔。優しそうな垂れ目。50代くらいのその男性は、見るからに人の良さそうな印象だ。
部活で疲れていた俺は返事をするのも面倒だった。
とは言え、この状況でだんまりし続けるのも気まずい。
仕方なく運転席を一瞥してから、
「ええ、まあ」
と適当に相槌を打つ。
「こんなに遅くまで部活? 大変だねぇ」
「ええ」
少しの間が空いた。
溜め息をつくと、エンジン音がそれをかき消した。
「確か、いつも終点で降りてたよね? お家って、川の先の本島地区のほうかな?」
何でそんなこと聞くんだ?
不審に思いながらも、
「いえ、そっちじゃなくて、神社の方です」
と答えた。勿論嘘だったが。
「じゃあ、桐沢地区の方か。でも、この辺りからだと、通学も大変でしょ?」
「いえ、もう慣れました」
また間が空いた。奇妙な間に思えた。
「そうか、まあ、バスが通ってるだけましだよ。私が学生の頃は、ずっと歩きだったからね。」
と彼は笑う。その言い方に、どことなく違和感を覚えた。
とにかく、俺は愛想笑いを返した。
会話が途切れてから、バスの中は異様なほど時間が長く感じられた。しかし、もうすぐ終点だ。ようやくこの空間から解放される。
だがその思いとは裏腹に、バスは終点の停留所を通りすぎた。それでも構わず、運転手はまだバスを走らせている。
「すいません。もう、終点過ぎましたけど……」
椅子から軽く腰を上げ、運転席を見る。が、反応がない。
体が異常だと察知したのか、焦りと変な汗がわき出てきた。
運転席に近寄りながら、もう一度言う。しかし、バスは止まらない。不安と焦りは、次第に恐怖へと変化した。
「運転手さん! 終点過ぎましたよ! バス止めてください!」
平静を失い、変なトーンで懇願すると、ようやくバスは止まった。運転手がくるりと振り返り、笑いながら頭を掻いた。
「すいません。ちょっと考え事してて。疲れてるんです」
そんなバカな。明らかに嘘だ。
「とにかく、早く降ろしてください」
運転手がドアを開けると同時に、金を払って外へ飛び出した。
それから、急いで家に向かった。
あの運転手は何か変だ。
先程の事が頭を過る。
しかし、それから解放された嬉しさの方が大きかった。
家に着くと、鍵は開いていたが、中は真っ暗だった。家族は皆、寝ているらしい。もう10時30分を回っている。
居間のテーブルを覗くと、ラップしてある夕食を見つけた。
それを温めている間に、古いアナログテレビをつけた。
テレビを見ながらの一人寂しい食事を終えると、丁度ニュース番組が始まった。
それにしても、さっきから何だか辺りが少し騒がしい。こんな時間に、一体どうしたのだろう。
テレビ画面に目を移すと、この辺りの景色が、アナウンサーのバックに映った。
「先程、10時40分頃、N県S村の桐沢地区で、県営のバスが暴走する事件が発生し、病院に搬送されました。」
えっ!?
一瞬、驚きで理解することが出来なかった。
「警察は、このバスの担当運転手、朝間藤彦54歳を容疑者と断定」
画面に、あの運転手の顔写真が映し出された。
「朝間容疑者は、数日前から職場の同僚に、毎日最終バスで終点まで乗る高校生に腹が立った。あいつがいなければ、早く帰れるはずなのに、と愚痴をこぼしていたそうです。なお、容疑者は現在も逃走中で……」
そこで、玄関の戸が騒々しい音を奏でた。
こんな時間に誰だろう。
不思議な事だが、画面の運転手の顔が笑みを浮かべた気がした。
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