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林檎

[672] ケィ。 2011-09-25投稿
田舎の畦道を僕は歩く。

故郷に帰るのは20年ぶりだった。僕の家はすっかり廃屋といった体で、僕はそこでツマラナイ、けれども重要な用事を済ませると、とっととバス停へ向かった。

やれやれ、これで何もかも終わり。やっと肩の荷が下りたような、ホッとした余裕からか、行きには気付かなかった一本の林檎の木が目にとまった。

まさか、そんな。

それは、彼女が植えた林檎に違いないと思った。



その林檎を買ってやったのは僕だった。
彼女は子供のように喜んで、種をまけばまたこの林檎が食べられるかしら、と言った。
僕は、芽吹くわけないよ、そんなに好きならまた買ってやる、と笑ったが、結局彼女が植えるのを見守った。


僕は彼女を愛した。


彼女の意思とは関係なしに。
残酷でなくば結ばれない運命だった。



当時を振り返り、思い出に浸っていた僕を現在に引き戻したのは、鋭い痛みだった。

「…」

剪定バサミの刺さった脇腹を見、次にそれを刺した相手を見上げた。

ボサボサの頭をした、顔色の悪い頬のこけた中年で、すっかり面影をなくしていたが、彼は彼女の夫に違いなかった。
僕が彼女を殺したと、疑ったのは彼だけだったのだから。

彼は剪定バサミを持って林檎を摘みに来たところ、林檎の木の前に立ちすくむ僕に気付いたのだろう。


どうしてこうなったろう、と、僕は考える。
林檎の木の前で立ち止まらなければ。
彼女が林檎を植えなければ。
彼が林檎を摘みに来なければ。

馬鹿な。
百遍やり直しても僕はきっとこの林檎の木の前で立ち止まったし、彼女はきっと林檎の種を植えたし、彼は林檎の木の世話をしただろう。

それは僕が僕である限り、彼女が彼女である限り、彼が彼である限り、そういう運命であったのだ。

そこに運命のイタズラがあったとすれば、林檎が無事に実をつけた事だろうか…

僕は帰る家を思った。どことなく彼女に似た妻と、可愛い娘と。
それらは僕を、まっとうな人間にしてくれると思った。

だから今日、全てを忘れる為に、20年間離れた実家へ寄って、彼女と写った写真を全て燃やして来たのだ。

燃え尽きていく写真に写っていた僕らは、幸せそうな仲の良い姉弟だった。

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