僕は計算をしている。
計算と言っても、算数とか数学っていうものじゃなくて、未来を予想するみたいな、計算。
計算は難しい。いつも最後までできたことがないんだ。
僕のいる部屋に「あの人」がやってきた。
ドアを開けて入ってくる。
「こんにちは」
僕は言った。
「あの人」は部屋に入ってくると必ず僕を見る。そしてだいたい「元気そう」という。
「あの人」は僕の服を持ってきたり、教科書を持ってきてくれたりする。
今日は服の替えを持ってきてくれた。僕はお礼を言う。
「ありがとうございます」
これもいつものことだ。
「あの人」は僕の言葉遣いがちゃんとしていることに感心しているみたいだったけれど、少し変な顔をする。何だろう?
「あの人」は僕のそばに立って、僕のことを見つめている。10秒くらいそうしているので、訊いてみた。
「どうかしましたか?」
「なんでもない。昨日は何をしていたの?」
「昨日は、本を読んでました」
「どんな本を読むの?」
「教科書です。算数の」
「ふうん」
「あの人」は窓の外を僕越しに見る。
訊いてみよう、と思った。
「わからないことがあります」
「うん」
「あなたは誰ですか?」
「あの人」は、また変な顔をする。
「それは知らなくても良いこと」
「私はあなたを知りません」
「知らなくても良いの」
「僕は、あなたを知らないし、ここがどこかも知りません。だから、計算できないのですか?」
僕はこれが、計算できない理由なのかと思いついてうれしくなった。
「そうかもしれない」
「あの人」はちょっとため息をついた。
「また、来るから」
「さようなら」
ドアを開けて、どこかへ行ってしまった。
僕はまた計算をはじめる。
計算は難しい。