男は、最高級ホテル・ラグーンの最上階にある【インペリアル=スイート(Imperial Suite)】の窓から、美しい夜景を見下ろしながらこう言った。
「さぁ…答えを聞かせてください。私と婚約するか…それとも貴女の父親の会社の倒産を黙って受け入れるか。…もちろん、私はどちらでも構わない。どちらにしても私に不利益はないからね。」
その言葉を聞いた女…新堂 飛希は覚悟を決め、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして黒い大きな瞳で、窓を向いたままの男の背中を見据え、震える唇でこう答えた。
「…分かっています。初めから…私のとるべき道は一つしかないと。…──貴方との婚約を承諾します…。」
それを聞いた瞬間、男が優雅な動作で振り返った。その表情はとても穏やかで、そして一瞬の後、飛希に近付くとその体を抱き締めた。強く…しかし包み込むように優しく…。
飛希は、その腕の中に素直に抱かれ、ゆっくりと目を閉じた。閉じた瞬間、涙が一筋、彼女の頬を伝って流れ落ちた…──。
…──話は2日前に遡る。些細なミスが大きなミスに繋がり、飛希の父の会社の経営は破綻し、倒産の危機に追い込まれていた。そしていよいよ建て直しのための打開策も無くなり、後は倒産を待つだけとなった父の会社に、一本の電話が鳴った。
「…貴方の娘・新堂飛希を私の婚約者として差し出すなら、私が貴方の会社に融資をしてさしあげましょう。そうすれば倒産は免れます。…もしそれが嫌ならば、貴方の会社は倒産するしかありません。もうどこの銀行も、融資を引き受けてはくれない筈です。倒産を避けるためにも…どうです?良い話でしょう?」
電話の主は出し抜けにそう言った。飛希の父は訳が分からず、「いったい君は誰だ!?なぜ私の娘を…!悪戯かね!?」と訪ねたが、電話の相手は素性を教えることなく、一方的にこう伝えて電話を切った。
「…怪しい者ではありませんし、悪戯でもないですから安心して下さい。いいですか?今から考える期間を2日与えます。娘さんとよく話し合ってみて下さい。そして2日後の夜、ホテル・ラグーンの最上階…インペリアル=スイートまで直接私に結果を伝えに来てください。…貴方ではなく娘さんがね。フフ…。よい返事をお待ちしております。では…。」
飛希の父は悪戯かと思い、一度は無視しようとしたが、心に引っ掛かるものがあり、とりあえず飛希に相談してみることにしたのだった…。