男は窓に映った飛希のそんな様子を見たのか、「…戸惑う気持ちは分かります。ではせめてさっさと楽にしてあげましょう。」と言い、夜景を見下ろしながらこう言った。
「さぁ…答えを聞かせてください。私と婚約するか…それとも貴女の父親の会社の倒産を黙って受け入れるか。…もちろん、私はどちらでも構わない。どちらにしても私に不利益はないからね。」
飛希は覚悟を決め、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして黒い大きな瞳で、窓を向いたままの男の背中を見据え、震える唇でこう答えた。
「…分かっています。初めから…私のとるべき道は一つしかないと。…──貴方との婚約を承諾します…。」
それを聞いた瞬間、男が優雅な動作で振り返った。その端正な顔の表情はとても穏やかで、そして一瞬の後、飛希に近付くとその体を抱き締めた。強く…しかし包み込むように優しく…。
飛希は、その腕の中に素直に抱かれ、ゆっくりと目を閉じた。閉じた瞬間、涙が一筋、彼女の頬を伝って流れ落ちた…──。
そして男の腕に抱かれたまま、飛希はこう言った。
「…電話の主は貴方だったの…?貧乏な筈の冬夜くん…。」
すると男…片桐 冬夜は、飛希を腕に抱いたまま、「騙してごめん…。以前パーティで君を見て…一目惚れして…。だけどその時僕には婚約者がいたから、そのままじゃ君と恋愛なんて出来ない…。だから、婚約を破棄するまで家に戻らない、って家を飛び出して、庶民生活の勉強も兼ねてあんなところで貧乏暮らししてたんだ。そんなとき君と付き合うようになったのは、本当に偶然だったけど…。」と言った。
そして飛希を腕から離すと、飛希と正面を向き合うようにして、「で、3日前に親から連絡があったんだ。婚約は白紙にしたから戻ってこいって。だからあの部屋を引き払って、家に戻ったんだ。そしたらなんと君の会社が倒産しそうだっていうじゃないか。だから僕は慌てて両親を説得して、君の父さんの会社に電話を掛けたんだ。で、せっかくだから素性は名乗らずに電話を切った。君たちがどう対応するかが見たくて…──ごめん。」と申し訳なさげに言ったのだった…。