幼い頃、僕は人が嫌いだった。家族も友達も先生も、一定の距離を持って接してきた。その時、僕は誰も信じられなかった。一人になりたくて、でも僕自身は力がなくて、誰かの力を借りるのが嫌だった。幼い僕の眼には世界が灰色に見えていた。それから長い年月が過ぎて、今はもう大人になった。昔よりずっと人を受け入れられるようになった。幼い頃と世界の見え方はそれ程変わっていないと思う。むしろ昔に僕がいた”世界”より、今いる”世界”の方が騙そうとする人が多いし、悪意を持って接する人が多い。でも今は綺麗事なのかもしれないけど、人を信じたいと思っている。例え騙されることに、裏切られることになったとしても人の事を信じたいと思っている。”信じていた者に裏切られることは辛いことだけど、人を信じて良かったと思うこともある筈”そのように考えたい。”世の中の全員が善人”という世界は存在しない。そもそも善人とそうでない人との境界も明確じゃない。意識しても、しなくても人は必ず誰かしら、何かしらを傷つけているんだから。そのような世界が存在したとしても、それは勝手に”善”と解釈されただけ。アリは意味もなく踏み潰され、牛や豚は感情なく殺害され人々の食欲を満たす。人だけ綺麗な存在でいられるわけがない。宇宙の定義の中で人は塵のような存在かもしれない。僕が昔より人を受け入れられるようになったのは”完全な善人”は存在しないと考えるようになったからなのかな。でも”絶対”にその人の力になりたいと思える人はいるんだよ。僕はまだ”人の意味”はわからない。でもこれからの長い人生の中で、自分の中で答えとなるものを見つけたい。