いつからだろう。母が僕を頭の悪い犬みたいに扱っているのに気づいたのは。
しつけがままならないことに対して、焦りと苛立ちがつのっていったのだろう。
母は僕を叱り始めた。それはごく自然にエスカレートしていき、母が自責の念にかられ、引き込もりになったのを引き金に、僕の住みかは、クリーム色の壁がすすけた、なんとも味気ない小さな施設になった。
当時から、学校が苦手で仕方のなかった僕は、世に言う登校拒否児だった。
『今日からここに住むのよ』と、名前も覚えてない伯母につれられた、その施設は学校にとてもよく似た印象だった。
少し嘔吐気味になるほど、鮮烈な記憶。
それから後の、施設長の施設の説明はほとんど覚えていない。
僕の荷物は、数枚の着替えと、食べかけのおやつ。それから、段ボールいっぱいのの紙オムツだった。
『五年生になっても、オシッコをもらすんです。どうやら普通の子と違うみたいで』
伯母の言葉に対しての、施設長の答えは
『かまいませんよ。わが施設はお気持ちさえきちんといただければ、ちゃんとそれなりに対処いたしますから。ご父兄の皆様にご迷惑はおかけしませんよ』
という、なんとも救いようのない腐った言葉だった。
そんな大人の会話に、僕は自分の人生を思いきり否定した。
生まれたことを心から後悔したのは、この時が最初だった気がする。