夢を見た。
大きな窓のある開放的な部屋で、私はピアノを弾いていた。
風が音を絡め、遠くの草原までその旋律を運んでいく。
私の指は、驚くほど繊細に白と黒の鍵盤を押していた。
ピアノの後ろにはソファーがあり、その上で誰かが眠っていた。
私は指先で音を紡ぎながら、その存在を背中で確かに感じている。
私はそれが誰だか知っていた。
私はその人に聞かせるためにピアノを弾いていたことを思い出す。
その人の安らかな眠りのために、子守唄を。
弾いているのはいつもサティだった。
Beyond the memory
目が覚めた時、全ての記憶を失っていた。
見慣れない白い天井は少しぼやけて見えた。心地よいリンネルの肌触り。窓辺に揺れるカーテン。緑のにおい。部屋の中は柔らかな光で満ちていた。
私はベッドから体を起こした。枕元に小さな指輪が転がっている。私はそれが何か大切なものだと知っている。
ベッドと小さなサイドデスクだけの簡素な部屋は、それでも殺風景な印象はなかった。サイドデスクにはささやかな花が活けられており、リノリウムの床は美しく磨かれていた。ここはどこかの病室なのかもしれない。
私は自分がどうしてここにいるのか知らない。
自分が誰なのかも知らない。
私には何も無かった。
けれど心はひどく満ち足りて、穏やかだった。
私は、何も思い出さなくてもいいのだと思った。
どこからかピアノの音色が聞こえてきた。優しい旋律。サティだ。不思議とそれだけは分かった。
胸の奥に染み入るようなメロディを、私はかつて愛したのだろう。
窓の外を見る。白い窓枠の中には、嘘みたいに青い空が広がっている。
海が見たいと思った。
気がつくとベッドから降りていた。私は枕元の指輪を自分の小指にはめてみた。少し大きかった。薬指にはめてみると、まだ少し緩かったけれど、外れる心配はなさそうだったので、そこに付けておくことにした。この指輪をお守りにしようと思った。
私は病室の扉を開けた。