初秋の風が吹き抜ける山道。楓はマウンテンバイクを降りて山水の湧き出し口の横に腰を下ろして休憩していた。冷たい山水を持参のカップに注ぐと一気に嚥下する。楓は高校生。休日を利用した父親の趣味のマウンテンバイクに付き合わされてここに居るのだが、どうやら分妓の多い林道で父親とはぐれたらしい。ひとしきり覚えのある所まで道を戻って父親の捜索を待つ事にした。丁度山水もあって休憩には最適だ。それに出来ればその先の手掘りのトンネルをまた通りたくは無かったのだ。何かあった訳ではないが手掘りの岩肌が気味悪かったし、何より距離が長いわりに照明が点いていないのだ。マウンテンバイクにもライトは付いているものの、頼りない明かりだけであのトンネルの中に入りたくは無かった。時間はまだ2時を回ったばかりだし、娘が居ない事に気が付いて父親が探しに来てくれるだろうとの期待もあった。だが、時間はすぐに辺りが薄暗くなる夕方を向かえ、楓は橙色に染まるガレ道に不安感を募らせた。トンネルを抜けた先には今居る道よりも広い道があった。崩れた道の修理に作業用の車両が頻繁に通っていたはずだ。ここに居るよりは賑やかだし父親にも見つけやすいはずだ。そう思うと楓は素早くマウンテンバイクに跨り日のある内にと、トンネルに入って行った。トンネルに入った瞬間から楓の耳には声が聞こえていた。何を言っているかは分からない。ただ、問いかけてきているのは分かった。楓に何かを質問している。楓は聞きたく無い。すぐにでも耳を塞ぎたい気持ちだ。だが、両手を離せばこの暗いトンネルの中で立ち止まる事になる。それはしたくなかった。楓は破裂しそうな心臓を我慢しながらひたすら心の中でお祖母さんの法要で唱えた経を繰り返した。長いことこのトンネルの中を走っている気がする。出口が恐ろしく遠く感じる。楓が見据える暗闇の先に秋の夕暮れの光がポッカリと穴を開ける。安堵の気持ちから唱えていた経を中断すると、耳元のささやき声が大きく聞こえた。「いきたい?」楓は咄嗟に「生きたい!」と叫んだ。「では行け・・」耳元で聞こえた言葉と同時に楓は正面から来たトラックに踏み潰された。踏み潰された自分の体を眺める魂となった楓の後ろで誰かが囁いた。「行きたいって言ったもの」姿は見えないが笑っている事だけは確かだった。