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「さぁ……どうしますか? 王子」
淡い光の障壁に包まれながら、その女は焦りひとつ見せずに黒髪の少年を優しく見つめた。
女のその長身のせいか、むしろ見下ろされていると言った方が正しい気もするが、少年にとって今そん
なことはどうでもいいことであって、必要に迫られているのは別の選択だった。
(これって、人生最初の分かれ道ってやつ?)
少しは何か状況が変わるかと、ありえない期待を込めて引きつらせた幼い頬がどこか虚しい。
ガチャガチャとアーマーを鳴らしながら腕を伸ばしてくる兵士達。彼らに捕まって兄貴達の尻拭いをす
るのは嫌だ。そんでもって、酔ったオヤジどもに嬲者にされるのもごめんだ。
(それに……)
酒とタバコと何が原因なのかすら分からない汚臭の混じったこの空気を、これ以上肺に入れることに
は少々抵抗がある。
(どうする……)
少年に迷う必要などないはずだった。
隣にたたずむ女にちらりと視線をはせる。
細身の体を包む、一見神父のようにも見える青を基調とした女の制服は、確かに彼女がこの古びた酒場
には似合わない、王宮の教師であることを示していた。
二十歳前後といったところか。制服と同色の髪をゆらす女のトロンとした特徴的な瞳は、穏やかな表情\r
とは裏腹に少年を試すかのように強い光を帯びている。
いや、この際相手が誰だろうと構わないはずだ。
(そうだろ?)
選択肢は一つ。
(何を迷う?)
時間は無かった。
こちらへ走り迫る兵士達の姿。今にも障壁を崩さんとして口早に呪文を唱える教育係。だがその声はや
けに遠い。
目の前にいるこの女の姿だけがいやにはっきり映し出される。
決まっているはずの言葉がなかなか声にならない。
理由の無い胸騒ぎ…
(何かが始まる……見えない何かが 形をとらない何かが)
はやる鼓動を右手で押さえつけながら少年はゆっくりと口を開いた。
「俺は−」
王子と呼ばれた少年の出した答えに、女が満足そうに頷くのが見えた。