「離れてください」
救急隊員の一人が、僕の肩に手を置いて言った。
他の隊員は彼女の傍にしゃがみこんで何かをしている。
しばらく呆然とそれを見つめていた。
その間、僕の肩に手を置いた隊員は何も言わなかった。
急かそうともしなかった。
さっきよりもだいぶ雨が強くなってきた頃、
「――わるな、触るな」
不意に思い出したように声を出した僕に、救急隊員の男は驚いたようで、
「あ、すみません」
僕の肩から手を放した。
「さあ、こちらへ――」
「触るな」
「え?」
「さわるなぁぁぁぁ!!!」
彼女の許へ駆け寄った。
彼女の近くに立っていた隊員が止めようと手を出したが、しゃがんでいた仲間から何か声をかけられ、手を下ろす。
そんなことには構っていられない。
惨めに、無様に、自分が何を言っているのかも分からず叫び、手を振り回し、道路に溜まった雨水をビシャビシャと跳ね飛ばしながら、彼女までの数メートルを駆け寄った。
周りの隊員たちが離れる。
どうやら、既に死んでいるのを確認したらしい。
救済措置も意味をなさなかったようだ。
「夏枝、なつえ!」
横たわる彼女の肩を掴んで揺さぶった。
もう死んでいるのは分かっているのに、理解しているのに。
それでも、駆け寄らずにはいられなかった。
どうしても、目を開けてほしかった。
もう一度、彼女の声を聞きたかった。
「夏枝、なつえ!」
彼女の後頭部からは、ドクドクと血が流れ続けていた。
ところどころ皮膚が擦れ、破け、肉やら骨やらが覗いていた。
唯一無傷だった顔に、自分の顔を近づける。
ポタリ、と涙がその血の気のなくなった頬に落ちた。
既にその頬は雨で濡れていた。
後から後から流れ続ける涙を、僕は止めようとしなかった。
それから数分の後、僕は先ほどの隊員に再び肩を掴まれ、救急車へと乗せられていく彼女の姿を無言で眺めていた。
やがてバタンとドアが閉められ、彼女の姿は見えなくなって、隊員も僕の肩から手を放して車内に戻っていった。