家庭としての温かさを与えられない分を 物やお金では不自由させたくないと思っていたのだろう!手作り料理や母の味というものを今でも私には無いに等しい。
食事といえば出前か外食が当たり前だった。経済的には父からの収入は不定期だったろうし全て持って行かれてしまう事さえあったが、当時の母はホステスとしてはかなりの収入があったのが幸いだった。
手作りはしないが食べる物には困らせたくないという想いで 冷蔵庫の中だけはあらゆる物を一杯にしてあった。
それを毎日のように私は友達に振る舞っていたので友達は私の家庭が裕福なのだと思っていたらしい
父にしても極道と言えば見栄の世界でもあり女性に貢がせた お金や母からの収入で高価な車に乗り時計を着け私の友達を 何人でも外食に連れて行ってくれる!
金持ちと思われても仕方もないだろう!
それら全てが今思えば母の苦労のタマモノだったのだ。
何度も言うようにそれでも私は父が大好きだったがだんだんと大人の事情が理解出来るようになった時に確実に私の中に異常な程に険悪感を抱いた事は自分は絶対に女好きで浮気をする男性や暴力を振るう男性だけは間違っても選ばないという確たる決心だったはずだった・・・・・