「ありときりぎりす」
朝のやわらかな光が、つゆを抱いた草花たちにいっせいに注がれる。それは、「今日も1日、精一杯輝きなさい」と贈られる神様からの愛の印。
その草花の間をぬうように、可憐なヴァイオリンの音色が草原をうめていく。草原いっぱいに広がったその音色は、朝露に濡れた草花や、やわらかな土、水色の空にとけあっていくようだった。
ヴァイオリンを奏でているのは、いっぴきのきりぎりす。彼はもうりっぱな青年だった。しかし、何年もきふるしたようなボロボロのシャツに身をまとい、その袖口から見える手首は、今にも折れそうにやせほそっていた。頬はげっそりと落ち、目もひどく落ち窪んでいる。ただ、窪んだ目の奥だけは、朝露の光に劣らぬほど輝きに満ちていた。
彼は目が覚めるとすぐにヴァイオリンを弾き始めた。そして、眠りにつくその時まで弾き続ける。眠る時は、ヴァイオリンを傍らに置き、まるで母親が乳飲み子と添い寝するような格好で眠った。彼は、片時もヴァイオリンを放すことはなかった。
そのヴァイオリンは、三年前に亡くなった父親から譲り受けたものだった。