T子の気持ちは解っていましたが、あの時の僕は暴走することが、生きがいでした
そんな時、友好関係にあったチームの後輩が、僕らが溜っていたコンビニに、爆音を発てながらやって来ました
「K先輩、ウチのS先輩とY先輩が事故ってしまって・・・」
知らせを聞いた僕は、直ぐさま搬送先の病院に向かいました
国道から街道に入り、五分ぐらいのところで、後輩4〜5人が、僕を待ってくれてました
「先輩、単車はこの路地に隠して・・・・」
僕は単車を置いて、走って病院まで・・・
病院の前には方々の仲間達が、大勢集まっていて、交通機動隊と地元警察のパトカーが多数来て、解散するように説得してるところでした
皆が殺気だってる時、病院の中からS先輩のお母さんが出てきて
「お願いだから、リーダーのA君以外は、皆さん家に帰ってください」
A先輩は、直ぐさま皆に解散するよう指示し、病院の中へ入って行きました
告別式の後、A先輩は僕にこう言ってきました
「二人共ラリってたんだってよ」 「お前ラリって単車乗るなよ!」
一週間後、僕達式の葬儀である追悼集会が行われ、二人の供養をした事は、言うまでもありません
いろんな意味で、悲しい夏が終りかけた頃、何時ものように夕方家から単車に跨り、通りに出て行くと、待構えていたかのようにパトカーが追尾してきました
僕は何時ものように、パトカーをおちょくりながら走っていると、スーパーの前で同級生の女の子三人が、手をふっているではありませんか
直ぐさまパトカーをまいてスーパーの前に行くと、Y子達が「いつもパトカーに追われてるけど、怖くないの?」と聞いてきました
僕が得意になって「全然!」と応えると
「気をつけなよ〜!」と言って帰っていきました
このY子、実はT子と高校が一緒で、僕とT子が付き合ってるのを知っていたんです
毎日Y子達は、スーパーの前にいました
そんな事もあって、急激に、この三人と仲良くなり、いろんな話をする様になるまでには、不思議なくらい時間がかかりませんでした