昨日公園で飛べなくなった名前も知らない鳥を見た。
ちょっと大きな公園で鳥達が老人のやる餌を必死でつついていた。そこに小さな子供がやってきて鳥達を追いかけた。他の鳥達はみんな飛んでいったがその鳥はただ不器用に羽ばたきながら走っただけだった。僕が近くに歩いて行っても同じように走るだけだった。そこでようやく、その鳥が飛べないのだと気付いた。
昨日まで空を駆けていた鳥が、今日飛べなくなったとしたらどんな気分だろう。それはきっと僕達の考える絶望に近い感情だと思う。そう、僕達が良く知る死んだ方がマシだという感情だ。しかし鳥は死なないし諦めない。持っている力で闘い続ける。辿々しく歩き、這っている虫をつつく。もう一度空を駆けれなくても、子孫を残せなくても、鳥は生きる事を止めない。僕達は憐れみ蔑む、誰かが老人のように醜い施しを与える。それでも鳥は生きて行く、生にしがみつき、地を這い擦り、施しを受け…鳥は飛ぶためではなく生きるために産まれてきたのだから。