末期ガンは、着実に夫の細胞や脳を貪っていった。痩せ細る体、連日投与されるモルヒネに意識も朦朧として、パラノイアに陥ってゆく。
夫人は決意を固めた。夫の意識の中に自分がいるうちに旅立とうと…。
まんべんなく辺り一面に灯油をまき、夫の瞳を覗きこんだ。
手足は痺れ喋る事さえ困難になっていたが、視線は夫人から外れる事はなかった。
「大丈夫…大丈夫よ。1人にはしない…これからも、ずっと…。」
震え、しがみつく夫を抱き締めて予期せぬ運命を呪い泣いた。
こうするしか手立てはなかったのだった…。
燃え上がる炎は、悪魔の様に2人に襲いかかり、みるみる内に辺り一面は火の海に変わっていった。
これで絶命したなら、きっと綺麗なドラマだったのだろう…だが、激痛が容赦なく夫人を苦しめ、狂った様に悲鳴をあげた。
脂肪が溶け肉体の焼ける匂いが鼻をつく。
薄れゆく意識の中でいつしか夫の手を振りほどき、酸素を得られる場所へと、這って行った。
現実とは残酷なものだ。
全身が麻痺した夫とは違い、五体満足な夫人の生きようとする生存本能が、そう働いたのだろう…。
数時間に及ぶ大手術の結果、幾度となく生死をさ迷ったが、奇跡的に生還したのだった。
酷も、運命は夫人を死なせてはくれなかったのだ…。続く