1999年1月1日、僕は夢を諦めた。
同じ日、美穂の家族は崩壊した。
絶望の中の暮らしにいた二人に光をあてたのは、出会いだった。
1998年、日本は不景気のどん底にあり、会社や社会は明日の暗いニュースはなにかとおもうようになっていた。まわりの人が頭を抱えながら生きていた頃、僕はプロサッカー選手を目指し、神奈川県の田舎の高校に通っていた。県大会でも上位ではなく、大半が就職する高校だから、みんな今を生きてる、そんな人たちだ。
僕も例外ではない。
回りの友人と同じように
学校に行き
授業をうけ
ご飯をたべ
部活やバイトをし
そして恋をしていた。
普通の高校生活しかしてなかった。
そんなある日、プロサッカーチームの横浜フリューゲルスのサテライトチーム、いわゆる二軍との練習試合が決まった。
次の日に隣街で試合があるから、それに合わせて地域の高校と試合をしたかったらしい。
僕は生まれてこのかたプロサッカー選手をみたことがない。
もちろんテレビではあるが、実際にはあまり感心しなかった。毎日の生活が楽しくて、今はそれだけでかまわなかったから。
だけど、それが自分の人生の転機になるとはまだ知らなかった。
当時のサッカーは、鹿島と磐田の二強時代でフリューゲルスは中間くらいの順位だった。何人か日本代表クラスはいたが、なかなか勝てずにその順位からぬけだせずにいる。
僕らのチームと試合が決まってから、学校内ではサッカー部がちょっとしたヒーローになり、部活の間でも僕らを見る生徒が結構いた。
なんだかやりにくいと感じていた。
そして僕らは、フリューゲルスと試合をする日を迎えた。
最初は、試合に出れないからそれほどではないとおもっていたら、エライめにあった。
サテライトチームはトップチームとの間にある準レギュラーをまずは目指す。だから若い選手はアピールするために必死になる。ベテランも一軍に帰りたい気持ちで頑張るからある意味、どこよりも飢えた狼みたいだ。
僕らが高校生ではなく、一種の跳び箱しか考えてない、バンバン突き飛ばしたり、あらいプレーもしてくる。最初は喜び合い試合を使用としていたら、気持ちが変わって、怪我をしたくないと、パスをまわしてぶつかるのを避けるようになった。