何故、この世に生まれてきたのだろう・・・。生まれてきて良かったのだろうか?
私を悩ませる、唯一の疑問だ。
私が生まれたのは、19××年代・・・今から30年以上も昔。まだ木造の校舎が建っていたころだ。放課後に校庭では皆が暗くなるまで、遊んでいた時代。今は放課後の校庭で子供達の遊んでる姿は見かけない。でも、それが寂しい光景ではない。公園や河原、見かける事は殆ど無い。
それが悲しい事ではない。時代が常に、時に流され、成長しているからだ。何故私がこの世?この世界に生まれてきたのかわからないのは、きっと愛というものが何なのか解らないからであろう。家族から貰う愛、自分が与える愛、他人から貰う愛。何が1番の愛なのだろう。今の私の1番の欲しい愛は、自分が1番に愛している人からの愛だろう。
私は19××年代にこの世に生を受けた。多分、私の生まれた頃は両親の仲も良かったのだろう。それなりに愛も貰っていたのだろう。しかし、もの心の着く幼稚園位には、母親の姿を見た事はない。離婚はしていなかったと思う。私の側には、いつも祖父母がいた。私は祖母と寝ていた。朝、目が覚めるとぬいぐるみ、人形が枕元に置いてあった。母の申し訳けないという愛だったのだろうか?でもその頃に欲しかったものは、そんなものではないだろう。父も母も仕事をしていた。遠足、運動会はいつも祖父母が見にきてくれていた。両親は私が小学生になった時に離婚をした。父の浮気が原因だ。でもその後にその女と再婚をしてるので、浮気ではなかったのであろう。私は祖父母の事が大好きだった。それは今でも変わらない・・・。今となっては両方とも他界してしまったが。胸の奥にポッカリ穴が空いたようだ。しかし私には愛を与え続けなければならない存在がある。それは私がこの世界に与えてしまった生命に対してだ。彼は幸福なのだろうか?私には解らない。ただ私なりに、祖父母がしてくれたように、懸命に与え続けるのだろう。しかし、与え続けるだけで、私の欲求は満たされない。人間という生き物は利己主義なものだ。貰えるものは全て欲しくなる。見返りもその一つであろう。それは私が私の子供を産む前から欲しかったものだと。そう・・・私がこの世界に生を受けた時から。たくさんの愛が欲しい・・・形は色々だとおもうが・・・。