「お父さんに今日の晩ご飯は煮物よ、て言ったらすぐ帰ってくるって。」
実家の台所で下拵えを始めた恵一に母が言う。
「…この家は息子が帰ってくるよりもちゃんとした料理があるほうが嬉しいのか。」
げんなりした様子で恵一は呟く。
「…醤油もねぇのかこの家は。」
「食卓用なら。」
母は小さな醤油瓶を持ってくるが、
「煮物じゃなくて蒸物になるぞ、そんな量じゃ。」
恵一はあちこちの収納を調べる。
すると、一本のプラスチック製のボトルを見つけた。
「お、すき焼きのタレあるじゃん。…て、前に俺が煮物で使った奴か。」
「あのかすべは美味しかったね、うん。」
「料理しろよ母さん。」
隣りで頷く母を睨む恵一。
この母親も、素で塩と砂糖を間違えるような人物だった。
そんなのは一人で充分だ、と恵一は思い直す。
とにかく、あるもので調理を終えた恵一は両親と揃って夕食にすることにした。
「腕を上げたな恵一。」
ごった煮を食した父親が言う。
ちなみに、父は恵一よりも食卓に並んだ料理に感激していた。
「親として鼻が高いわね。」
母も続ける。
「…反面教師。」
「なんか言った?」
恵一の思う以上に耳聡かった母が笑顔で聞いた。
「一人暮らししていれば自然と出来るようになるさ。」
棒読みで答えた。嘘ではないが。
「ところで、あんた指輪なんかして、彼女でも出来た?」
只の指輪ならそうは思わなかっただろう。だが、薬指にしていれば勘繰られるのは当然の事。
「…いや、いた。」
「あらあらごめんね。…あなた、この子諦め切れてないみたいよ。フラれた後も指輪なんかして。」
「嫌だな、息子がストーカーでニュースに出るとかは。」
「…本人前にして話すな、そーいう事は。ってか違うし。」
多少ブルーになった恵一が半眼で両親を見る。
「牧江ちゃんのとこは?明日行くの?」
「あぁ、そうかな。もう遅いし。」
「…父さんは土曜だけど仕事さ、月末だもん。」
可愛く言ってみる父を母子は無視して話す。
「クッキー焼いていってあげなさいよ、牧江ちゃん好きだったでしょ。」
「あー、そうね。久々にやるか。」
「…あーぁ、どの家庭も父親ってのは輪に入れないんだなぁ。」
「肉ばっか食うな。」
実家に来て、彼女の事を考える暇が少なくなった。
恵一はその事だけは両親に感謝した。