恵一は椅子に座って十九、いや二十年前のノートを眺めていた。
(そうか、もう二十年になるんだな。)
彼女が訪れてから去るまで、去ってから今まで。どちらも濃くて充実した日々だと恵一は思う。
ノートをしまって引き出しに鍵をかけた。
「あ、恵一さん。」
七月には二十歳になる珠美は、家にいる間は一生懸命料理の勉強をしている。
三年前の恵一の発言を真にうけているらしい。
つまり、料理が出来るようになったら結婚する。
明言はしていないがそういう事だ。
「…頑張ってるな。」
「頑張りますよ、恵一さんは私じゃない誰かしか見てないし。…そのくせ私が大人になるまでは待ってくれてるんですね。」
「…覚えてんのか、あの約束。」
「忘れる訳、ないです。」
まさか、彼女の事を考えている事に気付かれてるとは思いもしなかったが。
恵一は、珠美の肩を軽く叩いて家を出た。
やって来たのは二十年前住んでいた所。働き出すまでは住んでいたのではないだろうか。
今ではアパートは壊されてマンションになっている。
「…この辺も変わったな。」
少し行けば、崖があるが行く気分ではない。
『待っててね、お兄ちゃん!たまみすぐに大人になるから!』
『会いに行きますから、また来ますから、待ってて下さい!』
十五年前の、珠美との約束。
その姿に、二十年前の彼女の幻影が被る。
「…珠希、ごめんな。」
彼女に一言謝る。聞こえているかは知れないが。
「俺はお前の事を待ってる。いつまでも待ち続ける。でもあいつは、珠美は、俺が待ったのと同じだけ待ってるんだ。珠美には、これ以上待たせる訳にいかない。」
夜は、まだ寒い。暗い夜空を見上げる。
「俺は、答えなきゃいけない。」
珠美は未だにキッチンに立っていた。
「珠美。」
「はい?」
「こんなおじさんでいいのか?」
「…当たり前じゃないですか、ずっと好きなんですから。」
珠美は微笑む。
「…そうか、じゃあ、これからもよろしくな。」
「はい!…えと、それって?」
恵一は無言で珠美の頭を撫でた。
(ごめんな、珠希。)
恵一は、謝り続ける。
彼女の事を忘れるつもりはない。
だが、以前のようなつらい気持ちはなかった。
(約束、したもんな。だから…。)
…会いたい。
声が聞きたい。
沢山話したい。
だから…。
「ずっと、待ってる。」