『首の皮一枚と言った所ですな』
緊急特別議会から同議事堂閣僚級控室へ半ば逃げ戻ったグイッチャルディーニ氏は、敷き詰められた赤絨毯の上に乱雑気味に配された椅子の一つに腰を降ろすと、最近つとに凝りが酷くなった自信の首筋を実際に摩った。
そこには既に、ジョゼッペ=ヴェリーニ首席政務官が、二人の秘書と大量の決裁事項を伴って、待機していた。
『しかし議長、反対も結構ですが、正直野党の連中にも自粛を求めたい物ですね。責任問題も安全保障も確かに我々の不手際は責められて然るべきかも知れませんが…議会工作だのやっている場合ではありますまいに』
出されたアイスティーで喉を潤す彼の上司に、天然紙書類の束を持ち寄りながら、官界の長は苦言を述べた。
『国が無くなれば、彼等だって議席も肩書きも失う筈なのですが』
『仕方有るまいでしょう…批判・弾劾は彼等の仕事です』
手ずから書類を受け取った議長は、膝を机代わりに、片手に万年筆を持ちながら、そう宥めた。
『それに―野党連合も良く分かってますよ。今ここで火中の栗を拾うリスクは冒したがらない。危機が去るまではこの私にやらせて、帝国との緊張が緩和された辺りを見計らって再び引き擦り降ろしを試みる腹積もりなのでしょう―全ての責任を私に押し付けてね』
今回の信任・不信任投票は政治力学的な意味に置いて、実に絶妙な結果だったのだ。
四票と言う僅差でグイッチャルディーニは辛勝を収めた。
だが、一番注目すべきは出席者の二割半に迫る棄権票の存在だ。
しかも、すぐ後に内々で入った話によれば、その配分が与野党共にほぼ半々らしいと言うのだ。
これは何を意味するか?
味方側は、議長に一定の警告を含ませつつ、しかも、野党連合に提携の可能性をちら付かせ、敵方の代議士達は、こちらに恩を売りつつも止めを刺すだけの力有りとアピールし、揺さぶりをかける事が出来る。
一票を二倍にも三倍にも活かす、中々の戦略ではないか―議長には良く判るのだ。
ここまでは読める―手際良く書類を処理しながら、グイッチャルディーニ氏は、眼光を少しだけ鋭くした。
これが個人・もしくは少派閥単位によってなされた行動ならば、寧ろ常套手段だ。
余り心配する事はない。
だが、もしもより組織的な振る舞いだとしたら?
否、もっと言えば誰かが指示していたとしたら?