ここにいるよ もうひとりの自分が… 心配しなくていいよ 今がどん底だと思えばいい あとはよくなるしかないと…
小学校の担任の卒業文集の言葉の一部分だ。とても印象深く十五年以上たった今も私の脳裏を離れずいる。何度この言葉に助けられたか 計り知れない…。何かあるたび 呪文のように唱えてきた。
中学に入って半分が過ぎたころ 両親の離婚が正式なものとなり 母と弟とあたしは 遥か遠い九州へと引越すことになった。
今よりもさらに田舎な場所…帰省で帰ることはあってもまさか住むことになるなんて思いもしなかった。言葉はまるで外国語。季節はずれの転入生は
今でいうイジメの対象だった。受験を控えていたせいもあり 特別危害を加えられたりはしなかったが とりあえず孤立していた。いてもいなくても一緒。 同じ空間にいるのに 一言も言葉を交わすことはない。シカト状態。先生たちも 見て見ぬふりか わざわざ話し合いの場にあたしのことを持ち出して…あたしと話したことがあるか 手を挙げさせた担任や イントネーションの違いを話すのに あたしに林檎と言えだの 何度もいわせた社会の先生…1番嫌いだったのはペアになること。理科の実験にしても体育の授業にしても二人組。最後のさいごまで残るからだ。
親戚の人も 何も知らないくせに…お母さんを助けてあげなさい だの哀れな顔でいう人もいて 嫌いだった。
家じゃ 優しかったじいちゃんの陰険なイジメにあった。
弟はありとあらゆるものを壊され 教科書には落書き 殴られ けられ 見てられなかった。
でも お母さんには言えなかった…悲しませたくなかった。いつしか 作り笑顔の上手い 汚い大人が嫌いな 誰も信じられない 人間になってしまった。
人と付き合うとき 自分が傷つかなくてもいいように一線ひいた。心に何十ものバリアで覆い 壊れないように大切に 大切に。
それでも 傷ついてしまったら 大丈夫 大丈夫 後はよくなるしかない と大好きだったあの頃を思いだし生きてきた。
あの頃…友達と夕方遅くまで空き地や公園で遊んだ。大好きな男の子に素直になれず わざと素っ気ない態度をとってしまったり…大好きなバスケに明け暮れたり…虹に登りたくて端まで追いかけたり。無邪気で真っすぐで。愛知を離れるとき 竹田先生星野先生からがんばれ!って