やっとの思いで「私」を宥めすかし、私は無事に電車を降りることが出来た。
朝っぱらから人ごみの中をひょこひょこと歩いて駅中の不審さをほしいままにするのは流石の私も気が引ける。
私と彼女は人波に流されるようにして改札を抜け、並んで歩き出した。
私は切り出した。
「タケシくんとはどうなったの？」
彼女は怪訝そうに答える。
「誰よ、タケシくんて」
タケシくんとは、私が空想する架空の男の名前であり、彼は忌々しくも彼女と懇意で、しかも彼女は彼に恋しているということになっている。
「あれ？タケシくんのこと好きなんじゃなかったっけ？」
「タケシくんなんて好きじゃないよ」
無念、タケシくん。
「じゃあ誰が好きなの？」
私が尋ねると彼女は不敵に微笑み、携帯電話を取り出して、開いて私に見せてきた。
待受画面には、サッカーのユニフォームを着た殺伐とした表情の男が映っている。
「誰？これ」
「えっ、知らないの!?」
彼女は心底驚いたような顔をして、私に彼がどこのチームに所属していてどのポジションで今度どこどこで試合があるだの友達とそれを観に行くだの私にもサッカーを観ろだのと延々と熱く語って聞かせた。
私はサッカーにまるで興味が無いので、ただ「へえ、へえ」と言いながら赤べこの如く頷いているだけであった。
そのサッカー選手の身長について講義を受けているところで別れの場所に至ったので、私達は「じゃあね」と適当な挨拶を交わしてその場を別れた。
彼女の「じゃあね」の時の笑顔は、私の心の疲れを芯から癒してくれる。
私はその笑顔がいたく気に入っていて、私の一日は彼女の「じゃあね」によって締めくくられるなどと密かに心の中で呟いてみたが、実際はこれから気が沈むような講義が夕方頃までみっちりと詰まっていて、まだまだ私の一日は終わりそうもないなと感じ、私はうなだれて大学に向かった。
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